プロフィール
浅野誠
1972-73年沖縄大学に勤務
1973-90年琉球大学に勤務
1990-2003年中京大学に勤務
2004年より沖縄生活再開
玉城の絶景のなかで田舎暮らし
自然と人々とつながりつつ人生創造
執筆活動、講演・ワークショップを全国にて行う
沖縄大学・沖縄県立看護大学・沖縄リハビリテーション福祉学院で非常勤講師
沖縄大学客員教授

  最近著
  『沖縄おこし・人生おこしの教育』(アクアコーラル企画)
『<生き方>を創る教育』(大月書店)
『ワークショップガイド』(アクアコーラル企画)
『沖縄 田舎暮らし』(アクアコーラル企画)
  『浅野誠ワークショップシリーズ』
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    3.授業づくり(小中高校)
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    5.人生創造
 
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2012年05月19日

自分の考えを持ち、自分を押し出しつつ協同する 沖リハ授業

 今回は、身体を感じること、発信することを中心にすすめた。
 ここでは脱線して、ふと思ったことを書こう。

 相互にコミュニケーションをとるという活動をする時、『照れる』という文化が染み付いている人が結構いる。いいかえると、自分を押し出すことをためらうという文化だ。できれば、押し出さずに、事の流れを誰かがやってくれるのを待つ、自分はできあがったその流れに乗る、というものだ。
 自分から押しだすのは、たとえば職業上、押し出さずにはいられなくなった時に先延ばしする、といってよいかもしれない。
 そうした姿勢が美徳だと、しつけられた人さえいるかもしれない。
 自分をどんどん押しだす人は、恥を知らない人、遠慮を知らない人だ、と見なす発想さえある。それをKYだとみる文化すらある。

 だが、世界の色々なところに出かけて、それが通用しなくて、困ってしまったという話はしばしば聞く。こんな話を30年前に、本で知った。父親の転勤でドイツ生活を始めた小学生が、テストなどでトップクラスの成績なのに、「成績簿」には最低の評価がかかれていたので、母親が教師に質問抗議にでかけた。
 教師はいう。
「お宅のお子さんは、テストでは良い成績ですが、授業中は聞いているばかりで何も発言しません。クラスに何も貢献していないのです。ですから、厳しい成績をつけざるを得ません。」

 世界的な動きが広がり、人々の交流も広がり、多様な人々と交流協同ができるかどうかが重要になっている今日、そうした姿勢力量経験をどれだけつけているかが問われる時代だ。ウチの世界だけ通じるコミュニケーション、「KY」などと言っておられる時代ではなくなっていきつつある。それが通じるのは、身内の世界だけかもしれない。もしかすると身内のはずの親子などの家族の間でも、それが通じない時代になっているかもしれない。

 私の授業では、どこの大学・専門学校でもそうだが、自分の考えを持ち自分を押し出しながら協同していく姿勢・力を強めることを願って、授業構成している。

 かなり余談でした。

 受講生の皆さんへ 次回の授業に向けて、『専門家の失敗』についての「専門家へのインタビュー」(P15)の記入をお忘れなくお願いします(説明はP10)。


 写真は、本文に関係なく、我が庭のドクダミの花 

 



  
Posted by 浅野誠 at 16:24Comments(1)授業・学生

2012年05月19日

フィンランド教員の自由裁量の大きさと責任 PISA本16

 世界のほとんどの国(州)が、全国統一のカリキュラムをもつが、それをどの程度中央統制的にすすめているかは、国(州)によって異なる。フィンランドについては、次のように書かれている。

 「フィンランドの教員は非常に独立している。教員は、どのように教えるか、基礎(全国)カリキュラムから何を選択するか、特定の話題をいつ教えるかなど、ほぼすべての事を自分で決定することができる。」P165

 「フィンランドの学校に関する最も驚くべき事実の1つは、生徒の授業時間がどのOECD諸国の生徒よりも短いことである。これは、フィンランド人教員が教育指導を行う時間は、他の国々の同業者よりも短いことを意味する。例えば中学校では、フィンランド人教員は年に約600時間、すなわち45分間授業を800回、あるいは1日に4授業を行う。(中略)
 全国共通カリキュラムは実際には、計画表というよりもむしろ枠組みである。したがって教員には、その枠組みを解釈し、自分で教科書やその他教材を選び、そして自分の授業を計画するという大きな裁量が与えられており、こうしたことはすべて時間を要する。ある学校では、カリキュラム開発の過程は教員のチームにより協力して取り組まれているが、他方で、小規模学校では個別の教員に大きな責任が課されている。」P168

 日本でも、戦後一時期は、これに近かったが、中央集権化が進行して、今日ではフィンランドとは対照的な姿になっている。
 フィンランド教員はきわめて研究的に仕事をすすめており、日本の中でそれに近いのは大学教員である。日本の小中高校教員は、研究的性格がないわけではないが、行政的事務的色彩が強められてきた。無論、現実の教員のなかには研究的に仕事をすすめている教員がそれなりに存在することを見落としてはならない。だが、そうした教員は「目をつけられて」行政的なコントロールを「覚悟」しなければならないことがしばしばである。
 
 アカウンタビリティという言葉が多くの国で使われるようになっているが、日本では、行政システム的に展開されがちである。それに対して、フィンランドでは、次に見るように教員自身のアカウンタビリティが重視される。

 「アカウンタビリティはフィンランドにおいて重要であるが、それはほぼ完全に専門的アカウンタビリティの形といえる。そのアカウンタビリティの最も強いあらわれは、フィンランドの学校は、学習困難を抱える生徒に対して共同責任を取るよう組織されている度合いに見ることができる。フィンランドの教員は、問題がある児童を特定し、これら児童がやる気をなくして、クラスメイトから落ちこぼれる前に介入すべく訓練されている。どの学校にも特別な訓練を受けた介入の専門家――特別支援教員――がいることは、正規のクラス担任が支援を容易に利用でき、さらに、学習困難を抱える生徒が気付かれなかったり、あるいは放っておかれることがはるかに少なくなることを意味する。生徒のためのケアグループに組み込まれている資源の調整機能と同様、フィンランドの学校が小規模であることが、ここでは重要な要素である。さらに、こうした要素が組み合わさって、なぜフィンランドでは、学校間及び生徒間における成績の上位と下位の差異が、事実上すべての他の国と比較してこれほどまで小さいかを説明できるだろう。」P174

 競争的傾向の濃厚な日本にあっては、特別支援学級の属することを避ける傾向が強い。対照的に、フィンランドでは、たとえば、中学校卒業段階で、「学び足らないから、もう一年やる」という選択をする生徒がかなり存在する。
 そのことがそれ以降の進路に不利にするわけではない。日本だと、「出来るだけ偏差値の高い」高校に入ろうとする競争現実があり、その成否があとあとまで尾を引くという感覚が広く存在するが、フィンランドの場合、どういう進路を当面取ろうが、生涯学習の展開の中で、職業的進路、アカデミックな進路などへの変更発展が多様に行われており、15才の選択が一生を決めるなどという事態は存在しないようだ。


 写真は、本文に関係なく、我が庭のジャスミンマツリカ(ムイクワ)の花





  
Posted by 浅野誠 at 06:26Comments(0)教育・子育て

2012年05月18日

教室・机・いすを考える 看護大学授業

 今回の授業は、「どんな教室・机・いすがいいか。配置はどうするか」をテーマにグループ作業をした。
 教科・課題別にグループで作成したが、図示した案をプレゼンした。
 いくつか紹介しよう。



「体育―――疲労を取るストレッチ体操の授業」のグループは、海岸で朝日を浴びながら授業するアイデア。
  バランスボールを使って、机なしで行う。



 「視力0.1以下の生徒数名に配慮する授業」のグループは、3人掛け机の中央に黒板を写したスクリーンがあり、『誰からも見えやすい』『目の悪い人でも後ろに坐れる』『3人で坐ることで、授業の理解度が深まる』ことを特徴にしている。



 『音楽―――「教育学受講生歌」を作曲する授業』のグループは、鉢型の教室で、各自が楽器をもって、作曲をすすめていく、というアイデア。

 すべてのグループが、創造性あふれるものを提出した。
 残念なことに、屋外授業は別にして、アイデアの大半が施設設備に数千万円といった巨額が必要で、実現がかなり難しい。
 こんな風に教室・机・いすを考えることで、教育にアプローチする機会は稀だ。同じように、病院などで、患者・医療関係者自身が、建物や施設配置などを考える機会は少なそうだ。
 教育にしても医療にしても、それらが行われる場の条件は大変大きいにもかかわらず、考える機会が余りに少ないことが残念だ。
 

  
  
Posted by 浅野誠 at 16:22Comments(0)授業・学生

2012年05月18日

仕掛ける看護 もう一肌脱ぐ高齢者像 超高齢社会本2

 「病棟での個人の看護」から、「社会全体の看護」へ、「待っている看護」から、「仕掛ける看護」へと、「看護師・保健師が超高齢社会の「頼れるマネージャー」になるべく、さまざまな試みが始まっています。」P99とのことだ。
 そうしたなかで、次のように注目すべき動きが広がっているという。

 「いま、訪問看護ステーションの所長たちが自分で家を買って、家主として看護が必要な人を迎え入れて支える試みや、小規模ながらデイサービスと宿泊機能を伴うサービスを提供する試み(小規模多機能事業)が出てきています。高齢者の住まいを訪問するだけでなく、高齢者の生活の場所自体を提供、経営していくような形での貢献です。(中略)
 いままでは、特別養護老人ホームや有料老人ホームなどの介護施設では、医療が必要になると、手に負えなくなってしまうということが多くありました。
 しかしこれからは、医療が必要になっても、住み慣れた場所でずっと同じように生活を続けることができるようにしなければなりません。」P94~5

 私たちのまわりでも、そうした動きを感じるようになってきた。そうした専門職の動きと、地域住民との動きがからみあうような方向がさらにでてくるのだろう。
 そして高齢者自身の動きにも変化が広がって行くだろうが、その点にかかわって、「15年後に男性が変わらず元気でいるための一番大きな要素は社会活動であり、女性は精神的な自立だ」という研究結果が紹介されている。

 「これからは、75歳までは以前の65歳未満のように活発に社会活動し、75歳以上も「後期高齢者」という言葉の響きとは程遠いイメージで元気に暮らす時代になったといえるでしょう。そこで「次世代の社会システム構築にもう一肌脱ぐという新たな高齢者像」という新しいライフスタイル」の確立が想定されている。P176~7
 そして、「ボラバイト(ボランティア十アルバイト)、フレックス就労、時間預託(自分か慟いた時間を「ポイント」として貯めることができる制度)など」の形態が紹介されている。P170

 これらの指摘は有効だと思うが、少し付け加えさせていただく。
 高齢者がそうした生き方をしていくためには、高齢期を迎える以前の45~65歳の時期のありようが大きく問題となる。ひとことでいえば、「働き過ぎで燃え尽きない状態」で高齢期を迎えることだと思う。
 これまでは、「60歳ないし65歳までは必死で働き、それ以後はゆっくりと余生を休み楽しむ」という枠組みの思考が支配的であった。そうではなく、65歳以前も以降も、働くこと、休み楽しむことを並行させて、充実した生き方をすることが求められる。そういうありようを、社会的にも個人的にも展開できるありようを追求したいものである。

 写真は、本文に関係なく、我が畑のスパティフィラムの花



  
Posted by 浅野誠 at 06:26Comments(0)生き方・人生

2012年05月17日

シマラッキョウ 我が畑の野菜物語2

 

 シマラッキョウを生で食べるのが流行になってから、まだ日は浅いが、ごく普通になってきた。私も我が畑で育てるようになったここ数年、3~5月は常食するようになった。
 前年育ったものを7月に掘り上げ葉っぱを切って、そんなに間をおかずに、1つずつ植え直すことにしている。
 10月頃から、葉っぱを出し始め、1月頃からは茂り始める。



 成長がよいものは、2月頃から収穫できる。根元を食べるが、根元が太ってくる5月からは、生食向きではなくなり始める。6月に入ると、もう生食向きはなくなり、どんどん太らせて、来年の苗にする。
 


 掘り上げたものを、食べられるようにするには、一本一本作業しなければならないので、結構面倒だ。



かくして、御馳走になる。



  
Posted by 浅野誠 at 16:21Comments(0)野菜

2012年05月17日

宮廷芸能と民謡 男と女 人間関係と声・音の役割 松村本5

 宮廷芸能と民謡、男と女ということにかかわって、次のように重要な指摘がなされている。

 「那覇の娼妓がしばしば地方に流れ「三味線をひき渡世」していたとすれば、彼女たちを通して、那覇遊廓の芸が広い地域に伝播したことが考えられる。そうした点からも、遊廓は沖縄の芸能を考えるうえで重要な場所と言える。
 だが、宮廷芸能の担い手は男性たちであり、毛遊びでも、三線弾きは男性の役目だった。三線は男の楽器だった。女性が三線を弾くと、まず遊廓を連想させた。だから、今でこそ多くの女性たちが唄三線を習っているが、かつては女子が三線を手にすることに猛反対する親が多かった。
 沖縄には、唄三線に対するふたつの相反する評価がある。唄三線は、沖縄が誇るべきすばらしい文化だと見なされる一方で、下らない芸事だと貶められもする。前者は首里王府の宮廷芸能に対する称賛から出た評価であり、後者は民謡に対する蔑視から出た評価である。(中略)このふたつはただ演じられた社会的な場と役割を異にし、そのことによってそれぞれ違ったスタイルを発展させただけのことであって、両者の音楽性は共通の土台の土に立っている。しかも、現代の大衆音楽として元気が良いのは、貶められてきた民謡系の流れをくむ音楽である。」P94~5

 なるほどと思う。私の周辺でも、女性の活躍が目立つ。とはいうものの、男性の活躍もすごい。
 私が沖縄に来たのは40年前。男女を問わず、音楽芸能を皆が日常感覚で楽しんでいることが、すごく印象的だった。私が生まれ育った、岐阜・愛知・東京では見られない光景にしばしば出会った。クラシック音楽やポピュラー音楽だけでなく、民謡や踊りを楽しむ若者がこく普通にいることが衝撃的だった。
 その衝撃を受けて、私自身もこの世界の入り口に立ちたいと思ったが、25歳までの空白に近い状況は、決定的なハンディであった。
 もう一つ、私にとってハンディになったのは、「論理言語で、生活を律しなければならない」という発想で、沖縄に来るまでの世界がおおわれていたことである。そのことに関わって、刺激的なのは、次の叙述だ。

 「重要なのは、声の力と言葉の力が別個のものではないということである。私たちが、言葉と声を区別してしまうのは、文字というものを扱うようになったからである。文字は、言葉を聴覚の領域から切りとって、視覚の領域へと移行させた。そのことによって、言葉と声の間に溝ができた。だが、もともと言葉は声として出現した。始めに言葉ありき、というのは正確ではない。始めに声ありき、声としての言葉ありき、というのが正しい。
 声としての言葉が帯びていた原初のマジカル・パワー。そこから連綿とつらなる変遷の果てに、現代の私たちが聴いている唄がある。」P116

 書き言葉が作り出す論理によって、研究の世界をすすめるだけでなく、生活世界をも律しようとする志向が、近代以降強まるが、私はまさにそうした傾向を強く持っていたのだ。それが結果的に、声の世界の抑圧にも連なり、音の世界、音楽の世界との距離を広げていったのだ。
 声にしても書き言葉にしても、人間関係に関わると言う性格をもっており、両者の特性を生かし、また両者を相互にかかわらせながら、人間関係を豊かにしていくことが求められる。しかし近代以降、書き言葉が優勢となり、書き言葉によって、声を含む生活世界を律する傾向が強くなる。
 だが、その書き言葉の世界にしろ、音・声が漏れ出てくる。学校でのレクチャでもそうだろうし、弁論術などもそうだ。噺家やアナウンサーをモデルにして修行する学校教員がその例だ。だが、それらも、教師と生徒、生徒相互間人間関係の発展という要素を含みこまないと限界に突き当たる。
 声・音の世界での人間関係形成が、唄・音楽の世界になって行ったことについて、次のように書かれている。

 「谷川は、唄を掛け合う唄遊びの遥かな淵源を、アニミズムの時代、言問う世界における言葉の戦いに見いだした。この説によれば、男女の唄の掛け合いは、言葉の呪力で相手を屈伏させたり、また相手の意図を言葉の呪力でかわしたり、はね返したりする戦いから発展したというわけだ。恋の駆け引きはゲームどころか、まさにバトルなのである。」P104~5

 「言葉が、より強力なマジカル・パワーを発揮するためには、おそらく日常的な声、日常的な言い方ではダメである。したがって、それは「唱える」「うたう」という非日常的な発話スタイルと結びつきやすいだろう。「言問う」世界の言葉の戦いは、必然的に、唄文化を発展させることになったと思われる。」P108

 大変興味深い。人間関係の問題性が拡大してきている今日、こうした唄・音・音楽という世界からアプローチして打開策を探るのも有効だろう。

 写真は、本文に関係なく、我が畑のコリウスの花





  
Posted by 浅野誠 at 06:12Comments(0)合唱・音楽

2012年05月16日

肩痛に悩んだ2,3ケ月 インナー・マッスル強化で解決するか?

 私は、20代に入ってすぐから、肩痛に悩んできた。原因は、素人野球で、「シンカー気味」のものを投げ過ぎたことだ。右肩を突き出すように投げ、腕を遅れ気味に出すと、球がよく変化し、慣れない素人野球の世界では、打てる人はめったにいない。だから、それに「はまった」ことが失敗のもとだった。
 痛めた後、半年ぐらいは、球を投げられないほどだった。20代後半になって、逆の変化のカーブを覚えたりもして、たまにピッチャーをすることもあったが、野球をする時はほとんどが、もともとのキャッチャーをしていた。
 40代後半になって、スポーツ系に強いマッサージ師が、私の肩が脱臼したままになっていることを教えてくれた。20数年間、気づかなかったのだ。千代の富士の脱臼と同じだそうだ。そのころは、卓球をしていたが、同じような打ち方で、シュート系変化をよくやっていた。

 その気づきから、こうしたフォームを避けるようにしてきた。ということで、60代はじめまで、右肩痛をほとんど忘れていた。50代後半には、左肩が五〇肩になり、整形外科医やマッサージ師のお世話になったことはあった。数年間かけて、このほうも収まってきた。

 最近の右肩痛は、過去の問題の影響が残っているかどうかははっきりしないが、主因は、卓球で右肩を使っての強い打ち方をするようになって以降の蓄積のようだ。特に、比較的重いラケットで、強く打たないとかえってラケット負けしてしまうような用具を使い始めたこの二年半の蓄積のようだ。加えて、ラバーもパワーが必要なものにしていた。
 強い痛みになってきたのは、今年になってからだ。といっても卓球ができないわけではない。以前と同様に練習をしている。
 そこで、回復のために、いろいろと試してみた。そのなかで、いつも通うマッサージ師さんに、五〇肩のようになっていると言われた。そこで、「五〇肩」についてインターネットでいろいろと調べ、試してみたことが回復への道を見つけることになった。

・ツボに磁気治療器を貼る。いわゆるピップエレキバンの類いだ。
・痛い所にサロンパスを貼る。
・旧「さしきの」にできた温泉に通う。
・インナー・マッスル強化の体操

 以上の中で、インナー・マッスル強化に強い期待を抱いている。というのは、五〇肩の主因の一つが、アウターとインナーの筋肉のインバランスであるが、「アウターをよく使うスポーツで、そうなりやすい」というインターネットの治療サイトで見つけた情報が、ピンときたからだ。
 ということで、二つのサイトで見つけたインナー・マッスル強化体操を少しずつ始めた。

 もう一つ付け加え。先週の練習で、肩を脱力して、卓球練習をしてきた。すると、肩痛は少ないし、かえって球の威力が出ることがあることを発見。どうやら、ラケット・ラバーに負けないように強い力を加えることを、このことを二年半やってきたようだ。脱力の方が、かえっていいのだ、ということも新たな発見だ。
 
 それにしても、「どんどん鍛えればよい」路線で、この二年半やってきたようだ。そもそも年なのだし、『適切』にやることを大切にする必要がある。無意識に「どんどんやる」ことにはまってしまうことは恐ろしいことだ、ということを理解しなければならないようだ。

 現在は少しずつ良くなり、痛みそのものはなくなりつつある。でも慎重に粘り強く対応していきたい。


 写真は、本文に関係なく、4月末のオープンガーデンで購入したランの花

  
Posted by 浅野誠 at 16:26Comments(0)健康・身体

2012年05月16日

都市部に人々のつながりを育むコミュニティを 広井本9

 著者は、自身の欧米や中国体験をもとに、都市のありようについて、次のような問題提起をしている。
 「戦後の日本はアメリカの街をひとつのモデルに道路や都市をつくってきたので」、大量の“買い物難民”を生み出しているが、ヨーロッパでは、「街の中心部に公的住宅や福祉施設等を誘導し」て、「歩いて楽しめる」街を作り出している。それは、「「コミュニティ感覚」や「つながり」の意識の醸成という点からもプラスの意味をもつだろう。」P58~60
 「ドイツの都市の中心市街地」では、「街の中に「座れる場所」が多くあ」り、「街が単なる“通過するだけの空間”ではなく、そこで何をするともなくゆっくり過ごせるような場所であることを意味し」、都市が「コミュニティ空間」として存在する」P62
 中国の都市公園では、「地域の高齢者が多く集まって、男女入り混じりながら三々五々マージャンや将棋をしていたり、音楽をかけて踊っていたり」していて、「「ひきこもり」になりがちな日本の高齢者とはかなり対照的だ。」P70と書く。

 こうした指摘・提起を踏まえて、次のように述べる。
 
 「「コミュニティ感覚」とは、その都市や地域における、人々の(ゆるやかな)「つながり」の意識をいう。そして、そうした人々の「コミュニティ感覚」(ソフト面)と、都市や地域の空間構造(ハード面)は、相互に深い影響を及ぼしあっているのではないだろうか。単純な例を挙げると、道路で分断され、完全自動車中心になっているような街では、人々の「つながり」の感覚は大きく阻害される。また先ほど住宅の配置の問題についてふれたが、職場と住宅があまりにも離れている場合にも、そうしたコミュニティ感覚は生まれにくくなるだろう。様々な年齢・職業の人々が自然に集まる空間としての商店街の空洞化といった現象も、コミュニティ感覚の希簿化につながると思われる。
 (中略)これまでの日本の都市政策では、そうした「コミュニティ感覚」といった視点はほとんど考慮されることがなかったのではないか。しかし今後は、いわば“コミュニティ醸成型の空間構造”(あるいはその反対の“コミュニティ破壊型の空間構造”)という、ソフトとハードを融合した視点がまちづくりや都市政策において非常に重要になると思われる。」P67~8

 さらに、先に紹介した中国都市の事例を参照しつつ、次のように提起する。

 「それは言い換えれば、「生産のコミュニティ」と「生活のコミュニティ」とが比較的重なるかたちで存続しているということである。これが完全に乖離していったのが高度成長期以降の日本、とりわけ大都市圏だった。つまり都市の中心部に計画的に整備された公的住宅がほとんど存在しないため(また土地が細分化され一定規模の中層住宅が少ないため)、郊外の遠隔地に住宅が建てられ都市が無際限にスプロール化し、通勤時間が異様に長くなっていた。
 その中で「生産のコミュニティ」(=カイシャ)と「生活のコミュニティ」(=郊外の住宅)は完全に分離し、サラリーマンにとって住宅のある地域は“寝る場所”、カイシャのある場所は働くだけの場所で、いずれも帰属意識の薄いものになった。高齢者の福祉施設なども概して郊外の不便な場所になりがちなので、様々な面で地域に根ざした生活ということが困難になる。」P71~2

 東京地域、名古屋地域に長く住んだ私個人の体験をふまえても、これらの指摘に共鳴できる。そんなこともあって、道路が「幅をきかし」ていることをはじめとする物的環境に恵まれず、あるいは人間的関係が閉じこもりがちな都市生活から「脱出して」、沖縄の田舎暮らしをし、自然環境・人間環境が恵まれた現在地に住んでいるわけだ。とはいえ、ここでも、恵まれた環境を悪化させる動きと保ち良くする動きとのせめぎあい状況がある。
 
 写真は、本文に関係なく、我が畑のユリの花




  
Posted by 浅野誠 at 06:14Comments(0)理論・思想・研究

2012年05月15日

「いろいろな人生」のグラフづくり 沖縄大学問題発見演習

 最近の私の授業では、しばしばしている「人生」のグラフづくりだ。職業・家事育児・学習・趣味休養・睡眠生理的必要時間の配分の年齢変化、収入支出の年齢変化をグラフにし、就職・出産・卒業・住宅などの購入などの人生の主要な出来事を書いていくものだ。
 授業では、まず受講生自身のものを作成してもらう。興味がもてたら、「特別メニュー」で、いろいろな世代のいろいろな世代の人へのインタビューをもとに、いくつか作成して、いろいろな発見をすることを期待している。

 20歳前後の学生がする場合には、20歳以降は将来計画(予想)として記入してもらう。
 話題になることを並べよう。

・祖父母の世代とはかなり異なるが、親の世代とは似てくる。
・男性は、家事・育児の比率がかなり小さい。たいていは結婚して配偶者にしてもらう前提で考えがち。
 配偶者を「あて」にする女性もいる。
・支出のなかで、教育費の予想がはっきりしないことが多い。
・長生き予定の人と、短命イメージの人とがいる。
・会社勤めから起業に移る人もいる。
・60歳で仕事から『引退』する人とそうでない人がいる。
・比較的穏やかな人生を描き、荒波は予想していない人も多い。
・住宅の建設購入を考える人とそうでない人とに分かれる。

 将来計画は、どうしても『理想的』ないしは「空想的」になりがちだ。この活動と討論をもとに、それらについて考えを深めるきっかけが得られれば、と願って行う活動だ。


 写真は、本文に関係なく、我が家のブーゲンビリア
 3階ベランダのもの。ここまで来ると、地面からの高さは10メートルになっている。

 



  
Posted by 浅野誠 at 16:27Comments(0)授業・学生

2012年05月15日

若者・知識人・大学の交流・協同 教育学研究 アジア本7

 今回が連載最終回となる。
 本書の一つの強調点は、若者・知識人・大学などの交流・協同にある。たとえば、次のように述べる。

 「近年は、中国・韓国の勉学教育熱と相まって、日本の若者よりも、語学・コンピュータ能力・国際性やハングリー精神に秀で、なおかつ安い賃金で働かせられる、中韓の若者のほうが、日本企業にも求められるともいわれる。そうした経済競争と相まって、他方で、世紀転換期のナショナリズムとゼノフォビアの世界的拡大の中、日本の若者にも、中国嫌い、韓国嫌い、さらには外国嫌いが広がってきたことが、世論調査からも明らかにされている。」P59

 留学生対象の日本企業による就職説明会のニュースが、最近登場するようになったこともそのあらわれだろう。ひるがえって、アジア諸国で、日本人留学生対象の就職説明会があるのだろうか、と推理したくなるが、情報不足の私にはわからない。日本からのアジア諸国への留学生が少なくて、開催はありえないのかなと推理してしまうのだが、実情はどうだろうか。

 「独仏一〇O万人交流計画が、その後の独仏協調を形作ったことから、文部科学省と、中韓政府が共同で、キャンパスアジア、留学生三〇万人計画を打ち出していることである。」P59

 私の授業の受講生にもアジアの大学への短期留学経験者がいて、視野の広さを披露しているが、こうした経験者の数は限られている。アメリカへの留学生が減少していると言うが、アジアはどうだろうか。
若者だけでなく、大学教員や知識人におけるアジア交流・協同はどうだろうか。
 本書は、次のような提案をする。

 「EUのエラスムス計画、南アジアのSAARCなどがすでに開始しているように、EUや、SAARCの大学が共同で、地域の大学院生を集め、互いに専門を研究しあい、相互にディプロマを与える共同研究計画を立ち上げていることである。日本にもぜひEUI(欧州大学研究所)のような、アジア共同大学院を立ち上げることを提唱したい。」P59

 「アメリカやEUは、保守・リベラル・革新にいたる幅広い数千名からなるシンクタンクを常に持つ。
EU自体がエリート主導の共同体でもあり、EU内部のみならず、広く世界にジャン・モネ・チェアと呼ばれる知識人グループとEUIのシンクタンクをもち、それに数億ユーロの予算を投じている。」P60

 「EUのフィレンツェにあるEUIのように、またSAARCの共同大学のように、大学院レベルのアジアの学生と教師が相互にアジアの地域統合の在り方と共同発展、問題解決について議論し政策化することができるような、政策決定者とは異なる広範なシンクタンクを、各国各レベルで作っていくことができれば、アジアの制度化やアイデンティティ形成、問題解決に大きく寄与することになるであろう。」P60

 重要な提案のように思われる。一部の分野ではそうした取り組みが行われているだろうが、量的規模から見ると、限られているように推察する。EUや北米のように、大学人の交流・協同が日常化しているといってよい状況と比べると、日本では「お寒い」状況にあると言ってよいかもしれない。
 私の専門分野である教育学では、そうした取り組みはいまだ端緒的段階にあると言ってよいかもしれない。外国語を駆使できる研究者さえ少ない状況にある。日本の教育研究・教育実践に関わる外国語文献は、大変限定的であり、外国の研究者が日本の教育研究・教育実践へのアクセスは限られている。
 私個人も、こうしたことに取り組み始めたのは、わずか15年まえであり、なんらかの成果めいたものを提供しはじめたのは、12年前だった。
 そうこうしている間に、並行して本ブログに掲載している「PISA本」のような状況が世界的に進行している。そうした動向を視野に入れた研究が緊要だと思う。かつてアジア諸国が日本の教育をモデルにした時代があったが、それは過去のものになったようだ。

 写真は、本文に関係なく、玄関脇のエピデンドラムの花
 ここに住み始めたころ近隣の方にいただいたものだが、名前が長くわからないままだった。
 ランの専門家が教えてくれた。





  
Posted by 浅野誠 at 06:17Comments(0)理論・思想・研究

2012年05月14日

セロリ 我が畑の野菜物語1

 

我が畑の野菜は、これまでも紹介してきたが、これからしばし野菜ごとの紹介を連載していくことにする。20回余りになろうか。
 第一陣は現在収穫中のもので、そのトップはセロリ。

 昨年10月に購入した苗3株を植えた。
 肥料はほぼゼロで、堆肥を混ぜた土に植えた。



 2月ごろから、一番外の葉から順番に取って収穫。6月初めまで収穫できると思う。
 5月になると、収穫が我が家の需要を上回り、常時食卓に坐るほどになる。
一般家庭では、2株で十分と思う。



 自然栽培なので小ぶりだが、味が凝縮して美味しいと、自分では思う。歯ごたえもしっかりしている。






  
Posted by 浅野誠 at 16:27Comments(0)野菜

2012年05月14日

高成績 フィンランド 格差小 福祉 信頼 PISA本15

 第5章は、フィンランドを扱うが、そのサブタイトルは、「一貫した高成績への緩やかで安定した改革」となっている。

 PISAにおけるフィンランドの長年にわたる高成績はよく知られ、私もこのブログで再三書いてきた。本書も、このことを、とくに教育政策の視点から分析指摘している。
 そして、フィンランドの特質を以下のように簡潔にまとめている。

 「フィンランドは過去10年にわたって、すべてのPISA調査において一貫してトップグループに位置しており、さらにその成績で特筆すべきは、学校間で驚くほど一様であることだ。学校間の結果における差異がこれほどまで小さい国は他に存在せず、また、学校内での成績上位と下位の生徒の差も並はずれてわずかである。フィンランドの学校は、家族背景や社会・経済的地位にかかわらず、すべての生徒に対して申し分なく尽くしているかのようである。」P156

 格差が小さいことは、学校間競争とか生徒間競争とかも少ない事に通じる、その点で、競争を促進し、競争に依存することで、教育政策をすすめることさえ多い日本とは対照的だろう。加えて、よく指摘されるように、高成績の背景の一つに、高福祉があることを次のように指摘している。

 「最初に留意すべきは、学校は教育以上のものを提供している点である。学校はフルサービスの場である。学校は今生徒に温かい給食を毎日与え、保健・歯科サービスを提供する。学校は指導や心理カウンセリング、さらに、必要とする生徒と家族に対して、より広範な数々の精神保健その他サービスヘのアクセスを提供する。これら全サービスは家計調査に基づくものではない。全員が利用できることは、全児童の福祉に社会が深く関わっていることを反映している。」P162

 学校と福祉の一体化が、子どもたち、保護者たち、教育関係者たちに、安心安全を作り出す。ゼロトレランスなどを含む取り締まりや警備の強化によって「安心安全」を作り出す政策とは対照的だ。
そして、フィンランドの成功要因について、本章冒頭の鏡文で、次のようにまとめている。

 「成功の背景にあるいくつかの要因(中略) それらの要因とは、共通の学校制度において、すべての児童を一緒に教育しようという政治的コンセンサス、家族背景あるいは地域環境にかかわらずすべての児童が高いレベルに到達できることへの期待、優れた教育指導をひたむきに追求すること、学習に困難を抱える生徒に対して学校が共同責任を持つこと、学級に対して適度の財源がしっかりと向けられていること、そして教育者と地域社会の間に信頼感が存在することである。」P155

 「底上げ」にむけての多様な協力協同関係が長期にわたって安定的に作られていることが示されているといえよう。こうしたフィンランドの教育施策は、アメリカやイギリスのような国から見ると、想定外のようである。その点に関わって、次のように指摘されている。

 「フィンランドの成功を説明するのは、中央政府からの継続した計画的なイニシアティブではなく、この新しい分野の全体像である。ある批判的な考察者は、実際には、フィンランドには改革戦略がないと示唆した。これは、政府が制度を通して推し進めようとする中央のイニシアティブがないことを意味する。しかし、より長い目で、さらに、より分野別に見ると、国際ランキングの首位に押し出したような戦略がフィンランドには確かにあるのだ。他国はその改革の取り組みにおいて、この視点を適用することから利益を得ることもあるだろう。」P176

 「多くのOECD諸国、とりわけ顕著には、アメリカとイギリスの改革戦略を特徴付けている評価及び外部責任体制を制度化することに対して、フィンランドではほとんど関心が持たれていないように見える事実は、おそらく、教育者と地域の間に存在するであろう根本的信頼関係を最も的確に証明している。過去10年にわたるフィンランドの制度の素靖らしい実績をかんがみると、これこそ他者が学びたいと考える教訓である。」P176

 強力な統制と競争促進を軸に政策を推進している人たちからは、信頼関係を軸にするフィンランドの政策展開は信じがたいことだろう。しかし、教育にふさわしいのは、自己信頼・相互信頼を基礎に置いた政策展開だろう。


写真は、本文に関係なく、我が庭のタイワンレンギョウの花

 


  
Posted by 浅野誠 at 06:18Comments(0)教育・子育て

2012年05月13日

那覇港に着く 給料前借 授業に追われる 私の沖縄物語初期1

 今、「復帰40年」がメディアをにぎわしている。
 私にとっては、「私と沖縄物語40年」である。連載していた「幼少年期の思い出」から飛んで、40年前から始まる「私と沖縄物語40年」の初期の話に移ろう。

 私個人の沖縄物語が始まるのは、1971年4月28日だが、沖縄生活が始まるのは1972年4月10日である。そこでまずは4月10日ごろから話を始めよう。

 4月8日、東京晴海埠頭で、琉球海運「なは」に乗船した。一切の家財道具をダンボール60箱弱に詰め込み、チッキ(手荷物扱い)にした。有名私立大学の学長もしたある先輩が、アパートから港まで車で運んでくれた。
 晴海には、何人もが見送りにきてくれた。紙テープ見送りもしてくれた。
 偶然、琉球大学に赴任する大学院時代の友人と、同じ船になった。彼の提案で、一等船室に乗った。ゼイタクをした。2泊3日だが、彼と私の2組のカップルで楽しむ旅だった。船酔いする前に酒酔いをしていたのが、実のところだ。
 10日、那覇港に着く。彼を迎える人はすでに到着していた。私を迎える人は、30分後に到着。「私の就職は、本当なのか」と、しばし不安がよぎった。迎えの方は、地域で長年活躍されたが、先日20年以上ぶりにお会いしたが、元気だった。

 到着後、紹介された那覇市松川の新築郵便貯金住宅(アパート)に入居。持参した合計10万円は、アパート頭金・契約金、そして、当座をしのぐ家具で、ほぼなくなっていた。というわけだ、テレビを買ったのは、1年後だった。倹約したが、4月20日過ぎには、底をついた。「苦肉の策」として、管理職の方に給与を前借して、当座をしのいだ。初任給は180ドル。

 7階建アパートの最上階。東向きの部屋の目の前は、沖縄工業高校。いつも窓から高校風景を見ていた。2年前、工業高校でワークショップをしたが、すっかり変わっていた。断熱施行が弱い当時は、最上階なのでとても暑かったが、クーラーを買う金はしばしなかった。
 「工業線」のバスで「寄宮」まで通勤した。寄宮交差点(真和志小学校前交差点ともいうか)は、風が強い時は土ほこりが舞った。当時すでに信号があったが、信号とはかかわりなく、スクランブル横断をする「おばあ」を見てびっくりだが、のどかさを感じた。
 買い物には、よく与儀の農連市場に出かけた。朝9時ごろいくと、売り手の農家が、早く店じまいしたいので、大盤振る舞いの半値以下で野菜を売っていた。相対売りを楽しんだ。とはいっても、全くのウチナーグチの世界。私は、ただ立っているだけで、どんどん価格を下げてくれた。
 
 私が赴任した沖縄大学は、3月に急遽、存続ということになり、あわただしい時期だった。教職関係科目を週に7科目7コマほど担当したと記憶している。加えて、琉球大学教育学部でも非常勤講師をすることになり、週2コマ担当した。当時の私の生活は、授業準備(授業ノートづくり)と授業が、生活時間の大半を占めた。典型的なレクチャ方式しか知らなかった私は、90分授業のために、平均して大学ノート10ページ余りの講義メモを作成し、それを読み上げる授業を進めた。
 学生には、社会人学生も多く、夜間クラスなどは、私より年上の人が、3分の1位を占めることもあった。子連れ学生さんもいた。当時学生だった人たちは、もうすべて60歳以上だ。
 こんな慌ただしい生活のなかで、5月15日を迎えていた。

 写真は、本文に関係なく、我が畑のメドーセージの花

 

  
Posted by 浅野誠 at 16:24Comments(0)私の生き方・人生

2012年05月13日

新たな年齢区分 「超高齢未来」を読む1

 本の正式タイトルは、東京大学高齢社会総合研究機構「超高齢未来」2010年東洋経済新報社だ。
 最近、「高齢社会」にかかわる書籍が多い。学術専門書も多いが、そのなかにあって、本書は学術書というよりは、わかりやすい提案書といった雰囲気だ。
いくつか注目点を紹介・コメントしよう。

 「2030年には、65歳以上の高齢者が人口の3分の1を占めることになりますが、その中でも急速に増加するのが75歳以上の人口です。これから20年で1000万人近くも増えると予測されています。
 このことにより、わたしたちには「人生の第4期」という新たなライフステージが生まれることになります。
 いままでは人生には「子ども」「大人」「高齢者」の3つの段階があるといわれていましたが、そのあとの人生、「人生の第4期」が誕生するわけです。」P68

 興味深い指摘だ。無論、「高齢期」の後に、「第4期」を設定するよりは、もっと別の年齢区分を誕生させた方がいいのかもしれない。次のような事例も紹介されている。

 「ニューヨーク警察の定年は45歳です。だから、はじめから2つキャリアをもつという人生設計になっているわけです。いまの若い人ははじめから2つ仕事しようと思っている人が増えてきており、いままでの人生と随分違うのです。」P205

 この例も社会的な年齢区分への一つの提起になろうが、十数年前から私が提起している「人生後半期」という設定もその一つだ。
 年齢区分というものには、社会的な共通認識としての「設定」、あるいは年金支給開始とか医療保険区分とかいった制度的設定もあるが、当人自身の自己認識を含めた個人によるものもある。そしてそれらは多様に分化してきている。
 その点では、これまたここ10年ほど私が提起している「ストレーター秩序の崩壊」という問題が浮かび上がる。本書もその点にかかわりをもつ次のような問題提起をしている。

 「子供時代を過ぎ、高校なり大学なりの教育期間が終わったら就職。結婚し、子どもを産んで、子どもを育てて、定年退職をして、それで終わり……というようなレールが敷かれていたこれまでの時代と異なり、個人が自分の人生90年をどう設計して生きていくかが課題になってきたのです。」P69
 
 それは、社会的な標準レールの再設定が求められているというより以上に、個人が自分自身で設定し直していく課題に取り組む必要と、それを社会的に保障促進していくという双方にわたる課題があるというように、私はとらえたい。
 その社会的な追求に関わって、次のような問題提起がなされる。

 「社会のインフラについてみると、わたしたちが住んでいる街や社会システムはその多くが、若い世代が多く人口がピラミッド型をしていた時代につくられたものです。
 したがって、このままではこれからの超高齢社会には対応できないでしょう。それは、交通機関、建物などハードなインフラだけではなく、医療制度や福祉、教育制度などソフトなものも含めての話です。」P69~70

 別の個所では、次のように指摘されている。

 「これからの超高齢社会の設計においては、2つの視点が必要となるでしょう。
 ひとつは衰えていく年齢を2年でも3年でも遅くすること、つまり健康寿命の延長です。
 そしてもうひとつの重要な課題が、それでも衰えはいつか来るので、その期間をいかにして安心で快適に、そして尊厳をもって生きることができる生活環境を整えていくか、という視点です。介肋を必要とする高齢者の生活を支援するための、社会のインフラ整備です。」74~5

 以上にみるように、本書の叙述では高齢期、ないしは「人生の第4期」に焦点が当てられている。
 私は、こうした問題を考える際に、さらに、次のようなことを視野に入れて考える必要があると思う。それは、仮に人生を平均的にいって80~90歳だとすると、その「人生後半期」開始期である40~45歳まで視野を広げて考える必要があるということである。
 そうすると、40代50代の多くの人々が会社などに勤務し、かつそこで先進国では例外的と言えるほどの長時間労働などストレスフルな働きようをしている人が多いという現実に直面する。そして、過重なストレスが関係する精神疾患あるいは生活習慣病に悩まされる40代50代の多さに注目しないわけにはいかない。そうしたことに起因して、70代に入る以前に早世する人の多さが、超高齢化時代のなかでかえって重大な問題として浮かび上がる。
 そうした多難な40代50代をサバイバルできた人、あるいは多難さに出会わなかった人が、70代以降になって超高齢化し、個人としてあるいは社会として、その時期をどうするかというテーマに関わるようになるというべきかもしれない。
 こうした認識をもつと、40代50代のありよう、とくに会社などでの働き方、企業社会のありようを視野にいれて、「超高齢社会」を構想する課題が浮上すると、私は思う。


写真は、本文に関係なく、我が庭のホコバテイキンザクラの花





  
Posted by 浅野誠 at 06:20Comments(0)生き方・人生

2012年05月12日

リハビリを渋る患者をチ-ムで説得するロールプレイ 沖リハ

 今回は、6人グループ内で役割を交替しつつ、「リハビリを渋る患者・家族をチ-ムで説得するロールプレイ」を展開した。
 言葉によるリクツだけに頼らず、いろいろなものを総動員して患者に役立つリハビリへと誘っていく。その際、患者と患者を取り巻く家族のありよう、また、説得する専門家自身の特性、さらに、専門家チームメンバーの特性などを勘案して、ステキな関係を作り出していくことが求められる。
 その場面のポイントを各グループに提出してもらったが、適切なラポートという言葉が繰り返し出てきた。また、「押しの強さ」「スキンシップ」「優しさという雰囲気」なども話題になった。多様な「技」の引き出しをもってかかわっていけるようにしたいものだ。

 ところで、この授業をしている沖リハ言語聴覚学科は、こうしたロールプレイなどを含む学びの展開にあって、大変有利な条件がある。それは受講生の多様性ということだ。性別年齢別社会経験が様々なのだ。すでに子育て経験を持つ方もおられる。医療機関で働いた経験をお持ちの方がおられたこともある。
 そうした多様性は、多くの大学や専門学校と比べると、図抜けている印象だ。日本の学校システムでは、生涯学習的な要素をもつ、こうした実学を展開する学校が少なすぎる。対照的なのは、このブログでも繰り返し紹介しているフィンランドだ。40代50代になっても、新たな専門性を獲得するための生涯学習を展開できる社会的ありようが日本でも広がってほしいものだ。
 こうした点で、言語聴覚学科は先駆的かもしれない。ただ、フィンランドがこうした学校での学習は、国・自治体予算によって無償だが、日本では本人負担になるので、希望をもっても実現できる条件が狭い点は残念だ。 

 写真は、本文に関係なく、我が畑のローゼルの花

 



  
Posted by 浅野誠 at 16:21Comments(20)授業・学生

2012年05月12日

琉球古典音楽と沖縄民謡 毛遊びと村芝居・村々の芸能 松村本4

 本書は、琉球古典音楽と沖縄民謡の違いと関係について、社会的歴史的背景をもとにわかりやすく次のように述べる。

 「明治の琉球王国滅亡とともに、首里王府の唄三線を支えてきた土台は崩壊した。公務としての宴は消滅した。演奏の場を失い、職を失った官僚演奏家たちの一部は、一般庶民に唄三線を教授したり、芝居小屋に出演したりして、糊口をしのいだ。王国時代に庶民は目にする機会がなかった本物の宮廷芸能は、当初、珍しがられて評判になった。しかし、あの超スロー・テンポとあまりにも洗練された表現は、民衆の生活感覚に合わなかった。そこで、もっとテンポが早く、ノリの良い曲と踊りが考案された。それらの踊りは「雑踊り」と呼ばれた。」P76

 「沖縄では現在、多くの人たちが琉球古典音楽を学習し、うたい演奏している。特定の場所、機会、人間たちに限定されていた芸能から、音表現だけが切り離され、音のみによる表現=「音楽」として認知され、広まった。換言すれば、首里王府の芸能のなかにあった音が、まさに音楽になったのである。」P77

 「一般に、立派で価値ある伝統文化だという意識が強くなりすぎると、その型を安易に崩してはいけないという考え方が支配的になり、絶えず変形生成していく生きた文化の生命力を阻害する傾向がある。」P78

 「琉球古典音楽に対して、民間でうたわれる唄は「民謡」と呼ばれている。現在、沖縄では、昔からうたい継がれてきた伝承歌謡だけでなく、それらの音楽性をふまえてあらたに作られた作品も「新作民謡」と呼んでいる。要するに、沖縄民謡は沖縄の「民の謡」、宮廷芸能ではなく沖縄の民衆がうたう唄のことだと、広く考えておけばよいだろう。」P81

 「首里王府でうたわれた唄のなかには、民間の唄を採ってアレンジしたものが少なくない。プロの手で磨き上げられたのだから、技巧的には凝っているが、土台となった音楽性は同じである。宮廷芸能の華麗な花は、民衆の唄という豊かな土壌から養分を補給していたのである。そうしたつながりがあったからこそ、逆に、現代では多くの人びとが琉球古典に親しんでいる。同じ宮廷芸能でも、基本的に大陸の曲をコピーし、孤立した禁裏でそれを継承してきたヤマトの雅楽とは、そこが大きく異なる。
 首里王府の芸能と民謡の技巧やタッチの違いによる味わいの差異は、唄の社会的背景や役割の違い、あるいは士族官僚層と民衆それぞれの生活感覚に根ざした好みの違いを反映しているにすぎない。」P83

 琉球古典音楽と沖縄民謡とのつながり・交流の指摘は重要だ。音楽芸能についての身分差をもとにした支配統制が比較的ゆるやかだったことを示しているだろう。だから、明治以降、両者の交流関係が新たに展開しえたと言えよう。
 そして、今日においても、沖縄民謡だけでなく、古典音楽をも楽しむ人が、「階層差」を見せずに大量に存在しえているのだろう。とはいえ、古典音楽芸能などが、文化支配的なもの、あるいは特権的歴史背景が全く消滅したといえるわけではないだろう。
 こうしたなかで、沖縄芝居や村芝居・村々の芸能などが、どういう位置にありどういう特性を持つのかの検討にも興味がそそられる。いつか目にしたいものだ。
 その点と多少かかわって、次のような毛遊びについての考察も興味深い。

 「沖縄民謡の世界では、村の祭りなどと並んで「毛遊び」が重要な唄の場たった。
 モーとは野原、広場のこと。一日の仕事を終えた夜、若い男女が決められた場所に集まって、うたい踊って遊ぶ。即興で唄を掛け合い、恋のやりとりをする。それが、毛遊びである。毛遊びの場で、唄は鍛えられ、磨き上げられた。」P84

 「毛遊びは古代の歌垣(=歌掛け)の流れをくむ風習で、唄の掛け合いによる恋のやりとりの場だった。この掛け合い唄の文化は、日本列島から南西諸島、中国大陸南部から東南アジア地域、ヒマラヤ南麓あたりまで広がっていたようだ。」P86

 「明治時代にはまだ盛んに行なわれていた毛遊びが、大正半ばには「まさに跡を断たんとしている」という。だが、実際のところ毛遊びはその後もかなりしぶとく残り、ところによっては戦後も行なわれていた。」P87

 これらの叙述を読んでいくと、毛遊びと明治~昭和期に広く見られる村芝居・村々の芸能とがどのような関係にあるのだろうか、知りたくなる。
 また、「童謡」と言われるものは、どういう歴史的社会的背景をもってきたのだろうか。知りたいことの一つだ。
 なお、これらは、民話研究とも重なり合って追求される必要があろう。
 以上のいずれも、私の専門外ではあるが、興味がそそられるテーマである。




 写真は、本文に関係なく、バリ島タナロット寺院近くからの夕陽
 


  
Posted by 浅野誠 at 06:18Comments(0)合唱・音楽

2012年05月11日

授業での居眠り防止法を考える 看護大学授業

 今回は、「授業での居眠り防止法」を考えることを通して、授業・教育・教育学とは何か、を考えることがテーマだ。
 6つのグループで、皆から集めた意見をもとに防止法を考え、ポスター記入してプレゼンする。
 それに基づいて全体討論し、私がコメントするという流れだ。

 各ポスターを紹介していこう。

人体生理学グループ



教室環境論グループ




教師の性格・動きグループ



学生間の人間関係グループ




授業形態グループ



授業内容グループ



いろいろなアイデアが飛び出てきて、私の授業では希少価値だが、「勇猛果敢」に居眠りしていた一人の学生が飛び起きるという副次効果?があった!
 学生自身が授業創造への参加を強めて、授業改革を進める時代だ。



  
Posted by 浅野誠 at 16:15Comments(0)授業・学生

2012年05月11日

量的拡大から質的発展への転換が必要 広井本8

 連載の流れから少々はずれて、大きな点での注目点を紹介しよう。
 著者は、まさに巨大な視野で、現在を「大きな物語」のなかに位置づけて、次のように述べる。

 「成長の時代とは“進んでいる-遅れている”といった「時間座標」が優位に立つ社会であったが、「成長」後の社会においては、むしろ各地域の風土的・環境的多様性に人々の関心が向かうようになり、「空間」そしてローカルな「地域」というものが前面に浮上してくることになる。(中略)
現在の私たちは、人類史の中での“第三の定常化”の時代という、数百年~数千年ないし数万年単位の時代の節目を迎えている。そのような時代においては、「社会に関する構想」と「人間についての探究」はとりわけ不可分のものとなり、あらゆる前提を括弧に入れた、原理にさかのぼった人間と社会についての探究が求められる。」P12

 「「心のビッグバン」や「枢軸時代/精神革命」は、それぞれ狩猟・採集社会と農耕社会が、いずれも当初の拡大・成長の時代をへて、(環境・資源制約等に直面する中で)何らかの意味での最初の成熟・定常期に移行する際に生じたのではないか、というのがここでの私の仮説である。実際、たとえば最近の環境史の研究から、紀元前五世紀前後のギリシヤや中国などにおいて森林破壊などの問題が深刻化していたことが明らかになってきている(中略)。「心のビッグバン」と枢軸時代/精神革命において起こったのは、いわば“物質的生産の量的拡大から、質的・文化的発展へ”という転換だったと考えることが可能ではないだろうか。」P45~6

 これらの指摘の妥当性を判断する用意は、私にはない。とはいえ、目を開かせる重要な提起であることには間違いなかろう。そして、量的拡大から質的発展へと転換が必要だと言う提起は、私の長年の問題意識と響き合う。


写真は、本文に関係なく、我が庭のテンニンカの花





  
Posted by 浅野誠 at 06:11Comments(0)理論・思想・研究

2012年05月10日

続買物 木彫りの魔女ランダ 鳥笛 石鹸など バリ物語最終回

 

 木彫りの魔女ランダ。素晴らしい作品だ。日本では信じがたい価格。
 魔女ランダについては、恵美子の「心の宇宙散策」ブログ参照。


 ストラップとキーホルダー


 鳥笛 石鹸 アロマ 茶わん敷 など

 これで、長くなったバリ連載は終わる。
 バリ旅もいろいろと発見・感動に満ちていた。
 旅計画はしばしなし。
 海外にいる友人知人から誘いのある地域はあるが、出かけるのは気力が必要だ。しばし充電だ。
 


  
Posted by 浅野誠 at 16:23Comments(0)

2012年05月10日

パス・ファインダー アジアの地域統合 アジア本6

 遅れているかに見えるアジアでも、地域統合に向けての制度化の動きが進んでいることを指摘しつつ、本書は、つぎのような注目点を提示する。

 「「制度化」の開始の中で、重要な項目を見つけた。やれないものはやらなくてよい、という「パス・ファインダー」の項目である。制度化の始まりはゆっくりと「パス・ファインダー」でよい。パス・ファインダーとは、全てを共同でやらなくても良い、場合によってはパスすることを認めるという、非常に面白いアプローチである。
 制度にくみできない場合は、組みしなくてよい、という考え方は、制度化がきわめてしっかりしている欧州にも存在する。「オプト・アウト」という方式である。
 EU加盟に際して、旧東欧諸国は、非常に厳密な八万ページに及ぶEU法を全て国内法に適用しなければならないという厳しいアジェンダがあった。だが、そのEUでさえ、制度にくみしないことを認めるという「オプト・アウト」制度がある。例えばイギリスはユーロを導大していないし、ヒト・モノ・カネ・サービスの四つの自由移動が保障される「シェンゲン協定」に参加しない地域もある。近年は特に東西の経済格差や制度格差から、「二速二元のヨーロッパ」と言われている。速度が異なってもよい、制度や社会が多元的なものでよい、ということである。
 より緩やかな形の「パス・ファインダー」が、既にアジアの地域協力のロードマップに、実は存在する。達成されればよいが、達成し足並みをそろえることが共同の条件ではない。例えば二○○八年一二月に発効されたASEANチャータ(憲章)で民主化や自由化を、打ち出された時に、もしも中国が達成していない段階でも排除しない、できない場合はできるまで待ち、共同活動からは排除しない姿勢を伝える。
 それにより可能なところから制度化し、不可能な国や領域を排除しない。排他的(exclusive)にならず、包摂(inclusive)である。合意「抜け道」をヨーロッパもアジアも作っておくことは極めて重要であろう。」P57~8

 このパス・ファインダーは、国際間だけでなく、国内にいろいろな場で採用されてよい。学校のような教育場面においてでもある。それは、多文化主義にも通じることである。それはまた、私が長年主張してきた「異質協同」でもある。

写真は、本文に関係なく、我が庭のペンタスの花




  
Posted by 浅野誠 at 06:17Comments(0)理論・思想・研究

2012年05月09日

買物 上着 ザブトンカバー Tシャツ サンダル バリ物語20

 

レギアンの大通りの実直なおばさんから買った白い上着。恵美子は姉妹たちにと何着も購入。お店の前にこれらがならべられていたが、清楚な印象が強い。



 ザフトンカバーだが、手の込んだ模様が縫いつけられている。



 Tシャツ バリ図案で美しい



 バリ生活必須のサンダルだが、沖縄でも使いがいがありそう。


  
Posted by 浅野誠 at 16:23Comments(0)

2012年05月09日

香港の教育改革 学習の仕方を学ぶ 通識 PISA本14

 香港の教育改革を、教育実践場面に焦点化して見ると、次の記述が注目される。

 「2002年、重要な改革のための文書「学習の仕方を学ぶ(Learning to Learn)」が出版された(中略)。このタイトルは主として次の2つのメッセージを伝えている。「指導」から「学習」に焦点を当てることと、知識の暗記よりも学習の過程を新たに重視することである。この文書は、改革全体において参照すべき基本文書となっているもので、今日の学習理論に基づいてる。この理論を分かりやすく説明すると、次のようになる。
 学習は学習者によって知識を能動的に構成していくことである。
 学習は過程であって、学習経験と呼ばれる活動を通じて獲得される。
 類似体験は異なる種類の知識の構成につながることがある。すなわち、同じ経験をした人でも学んだ内容は異なる。
 学習は理解のためにある。
 理解は知識の効果的な応用によって実証され、そして構築される。
 効果的な学習経験はしばしば知識の統合を必要とする。
 学習は実体験の中で最も高い効果を得られる。
 学習は社会的活動でもあり、集団の中で行われるのがよい。
 人間の学習は向上心によって動機付けられる。」P136~7

 「教育課程の変化」は、「後期中等教育段階において最も大きな影響が見られる」P137というが、大学入試に、中国語、英語、数学とならんで新たに導入された「通識」という科目に、その変化が象徴的に見られる。

 「通識は香港の中等教育に新しい評価を導入した。通識では、時間割やシラバスがなく、多岐にわたるテーマを学習する。評価は柔軟に行うことになっている。事実、教員は生徒に多くは時事問題や教科書に載っていない情報に基づき学習計画を立てさせ、レベルの高い批判的思考力を養おうとしている。この学習には、適切な課題設定、分析方法の発見、統合、概念化、課程や理論の提示が含まれる。」P138

 日本の中等教育機関における教育改革の具体化が遅い一因は大学入試にあるのだが、香港の大学入試科目「通識」は、日本にとっても示唆的であると言えよう。
 以上見てきたような、上海・香港の構造的転換、その結果としてのPISA上位確保を、日本の関係者はどう考えるのだろうか。だが、これらのこと自体が話題にのぼることさえ少ない。気になることだ。



 
 写真は、本文に関係なく、バリ島タナロット寺院近くの海岸



  
Posted by 浅野誠 at 06:16Comments(0)教育・子育て

2012年05月08日

税に関心 5年後、10年後の年収 沖縄大学授業

 私の授業で定番化してきた「〇〇年後の年収」討論をした。
 何年後を話そうかと尋ねたら、「5年後」と言う声で、5年後について討論。
 100~200万円のイメージがでてくる。20歳前後では、正社員の給与額がつかみにくいので、アルバイトの時給計算に少し上積みをするのが、手っとり早い計算方法か。
 沖縄の最低賃金の時給630円余りに少し上積みして700円だと、年収150万円近くて、時給1000円だと190万円ほどになる。
 全国水準からみれば随分低いが、沖縄の現実にはこれに近い年収がよく見られる。

 では支出はどうか。ここで税金が意外に高率を占める。保険も含めるとかなりだ。学生でも、自動車税など結構支払い機会が多いので、関心が多いようだ。それとも、消費税などが話題になる「ご時世」のためか。年収討論で、税は初登場の話だった。

 5年後ではなく、10年後ではどうか、という話にも発展した。すると、結婚が一つの焦点となる。30才ぐらいで結婚しているというのは多くない。これまた現実が反映している。

 この討論は、10年ほど前には、若者の「夢」をめぐる討論だったが、いまや厳しい?寂しい?「現実」の討論になってきている。


 写真は、本文に関係なく、我が畑の月桃の花




  
Posted by 浅野誠 at 16:23Comments(0)授業・学生

2012年05月08日

フルサービス・コミュニティ・スクール 学校と地域 鈴木本4

 学校と地域の関係が、大震災のなかで、改めて重要問題として浮かび上がったわけだが、それとかかわって、「フルサービス・コミュニティ・スクール」に注目する論が、次のように書かれている。

 「学校によって名称やプログラム内容は多様であるが、児童生徒のみならず、その家族や地域住民に対して、また彼らの参加により、教育、医療、福祉等のあらゆるサポートサービスを提供する地域に開かれた年中無休のワンストップサービスセンターの機能を果たすとともに質の高い教育を提供することをめざしている公的学校である。Dryfoos&Maguireによると,ソーシャルワーカーらによるケースマネジメント,保健医療サービス(健康診断,歯科検診,診療.予防接種,朝食の提供等),発達プログラム(メンター.薬物乱用防止,スポーツやリクリエーション,インターン等),家族サービス(親業教育,学習プログラム,就労支援,居住支援,食事提供等),保育等サービス(保育,家族サポート,アウトリーチ等),放課後プログラム(クラブ活動,宿題指導等)などが提供されている。」P183~4

 これを日本で追求する際には、以下のように、高齢者施策と関係づけることがポイントになるという。

 「高齢者施策が充実している日本においては,高齢者が住み慣れた地域で生活し続けることを可能にするための,地域包括ケアシステムの構築および運用において中心的役割を果たす地域包括支援センター-が,まさに地域を基盤としたソーシャルワークを実践しているといえる。」P184~5

 「従来から地域の核であり,これからは「地域づくりの核」となることを期待されている小学校に地域の人々すべてを対象とする地域包括支援センターを設置し,総合相談・支援事業(総合相談,地域包括支援ネットワーク構築,実態把握など)および権利権護事業(高齢者虐待の防止および対応,消費者被害の防止および対応,判断能力を欠く常状にある人への支援など)を実施すれば,子ども,その家族,地域の人々(住民や勤務者等すべて)に対するワンストップサービスが有効に機能すると考えられる。
(中略)
小学校を年中無休で活用できる地域に開かれた場所とし,地域のニーズに応じて放課後プログラム,家族サービス,保育等サービス,発達プログラム,保健医療サービスなどの多様なサービスを提供する。そして,このような活動に地域の人々を巻き込み,それぞれが子どもを中心とした地域をつくっていく主体という意識を持てるようにあらゆる形での関与を可能にする。つまり,サービスを受けるばかりではなく,サービスの提供者や企画者など,あらゆる役割を地域の人々がそれぞれのストレングスを活かして果たすということである。支援される側と支援する側に固定されることのない,地域の人々だれもが参加するバリアフリーのコミュニティセンターである。」P186

 「このような交互作用は,最も人口割合が多い高齢者の力を活用し,かつ本人の生きがいを高め,介護予防などにも成果を上げると考えられる。これは,近年各地で展開されている共生型事業を拡大したような考えだともいえる。これを実現するためには,地域のニーズを的確にとらえ,地域の人々が自分たちの課題だと気づき対応しようとする意欲を高め,個々や集団のストレングスを活かし地域のこれまでのあり方に応じて,相互に関係する人々がポジティブな関係性を持ちうまく交流できるようにする強制ではない仕掛けや働きかけが必要である。それを専門的に行えるのがソーシャルワーカーである。ハードばかりがつくられ,その効果的な活用には力を入れてこなかったこれまでの反省に立ち,ソーシャルワーカーも力量を高める必要がある。」P187

 ソーシャルワ-カーならでは提案であろう。実現となると、多くの解決すべき課題がでてこようが、部分的な試行は可能であろう。いずれにしても、教育と福祉、学校と地域を考える上で、興味深い提案である。
 本書の紹介・コメントは今回で閉じる。直接、手に取ってごらんいただきたい。震災が引き起こした困難とその打開のための多様な活動が、リアリティをもって読者に飛び込んでくるだろう。





 オープン・ガーデン 津波古義治さん宅の庭


  
Posted by 浅野誠 at 06:17Comments(0)教育・子育て

2012年05月07日

モズク取り イノー 名称不明の蝶

 6日記事の続いて、ゴールデンウィークの話。





 上の写真。5日午後、天空の茶屋からの散歩コ-スで、玉城・中山・奥武島のイノーを撮影。

 5日夕には、3回目の「猿人の湯」 ユインチホテルは超満員。駐車するのに行列。「猿人の湯」も、前回の5~10倍の客。驚き。我が肩痛にはよく効く。

 6日午前、時々見る蝶がチシャノキの花蜜に集まっている。何枚か撮影した。2冊の蝶の図鑑で調べるが、ぴったりするものが見つからない。どなたか、わかりませんか。ベランダから撮影。



 6日11時過ぎ、新原ビーチでモズク取り。大潮干潮。
 2枚目の写真東側のイノーでとる。
 今年は例年より少ない感じ。モズク取りの人も例年の半分以下
 それでも、40分ぐらいで、4キロ余りの収穫。
 新鮮で美味しい。
 下の写真は、私の収穫分だ。





  
Posted by 浅野誠 at 16:19Comments(0)日常の暮らし

2012年05月07日

近世宮廷音楽と踊・宴 松村本3

 近世宮廷音楽は、ヤマト・薩摩との緊張関係のなかで展開した。そのことが独自的発展を促したという次の叙述は興味深い。

 「薩摩の役人を歓待するとき、琉球人はヤマトの楽曲をそのまま演奏することもあったのではないかと思われる。だが、薩摩の役人たちは、自分たちに親しみやすいスタイルで、しかもそこに琉球風味が混入しているような楽曲の方を、むしろ好んだのではないか。そういう唄の方がエキゾティックにきこえて面白いし、自分たちと琉球人は違うのだということを耳で確認できる。
 (中略)首里王府の側にも、琉球が完全にヤマト化するのを拒否する意識、支配者の文化に完全に同化することを拒否する意識があった。大陸との朝貢冊封関係は、明人や清人に対して、自分たちは琉球人であるという自己意識の形成をある程度促しただろう。だが、琉球と大陸の関係に比べると、琉球とヤマトの関係は、ずっと鋭い対立を孕んだものだった。ここは琉球であり、自分たちは琉球人であるという宮廷人たちの意識は、ヤマトと対峙することによってこそ明確になったと思われる。そのこともまた、琉球独自の芸能を発展させた一因だっただろう。
 首里王府の楽人たちは、多くの時間とエネルギーとアイデアを投じて、きわめて洗練された芸能を発展させた。彼らは、外部の要素を取り込む器の大きさ、外部からの影響にも揺らがない強固な琉球アイデンティティ、大胆な折衷様式を発展させることができる確かな技術としなやかなセンスを備えていた。才能ある人たちが集められたはずだ。しかし、彼らの才能を開花させた状況の力も無視できない。大陸とヤマトヘの両属、朝貢貿易の維持、ヤマトとの緊張関係といった歴史的、政治的、社会的状況こそが、重要な外交上の責務を担うことになった楽人たちを、そこまで鍛え上げたのである。」P73~4

 上の紹介に続く論の中で、音楽と踊・宴との関係についての次の叙述も、音楽の特質と歴史的変化を考えるうえで、大変示唆的だ。

 「ここでひとつ注意しておくべきなのは、こうした宮廷音楽に踊りがついていたということである。冊封使歓待のため宴の演出にあたったのは「踊奉行」たった。宴席につらなった者たちは、酒を飲み、珍味に舌鼓を打ち、会話を楽しみ、唄と踊り、芝居の要素を加味した組踊などで耳目の愉楽を味わい、その場の雰囲気全体を楽しんだ。元来、芸能というのは、そのように集団的、総合的、全身体的な楽しみであった。
 しかし、現代の私たちは、そうした総合的な場から音という要素だけを切りとって耳を傾け、それらの音を「音楽」と呼んでいる。これは、西洋近代的な音楽観である。自分の部屋で、CDなどをかけ、ひとりで目をつぶって、じっと音に意識を集中して聴く、というのがもっとも極端な姿だが、私たちは、もっぱら聴覚にうったえる表現を「音楽」と呼び、音楽は聴くものだと思っている。そこから、舞踊や演技などの要素を介在させず、ただ音だけで聴く者を揺さぶる音楽こそ、もっとも優れているという観念も生まれる。(中略)
 だが、歴史を遡ってみれば、ひとりでじっと音に耳を傾けるというのが、じつに特殊な態度であることがわかる。音による表現は、それが置かれた場のなかに埋め込まれ、音以外のさまざまな事柄と不可分だった。古来、人びとはお互いの絆を確かめ合い、それを強化するために、ともに飲みかつ食べたが、共同飲食と同様に、音もまた、ともに楽しむことによって人びとの絆を強化するものだった。また、楽しむためには、音だけでなく、踊りも芝居も、酒も食物もおしゃべりも、すべて動員された。それが、芸能本来の姿たった。そのような場で、音は音以外の要素と無関係ではありえなかった。」P74~5

 かなり以前になるが、大学での授業・行事や、小中学校の生活指導教師たちとの研究会の場などで、集団的な文化創造を実践的に追求した時期、私が主張し実践したものは、音楽・踊・演技などを含んだ総合的なものだった。時には、結婚式披露宴の演出進行でも、こうしたことを追求した。
 一連の叙述は、それらのときのことを思い起こさせてくれた。




 写真は、本文に関係なく、バリ島タナロット寺院近くからの夕陽



  
Posted by 浅野誠 at 06:15Comments(0)合唱・音楽

2012年05月06日

近所どうしのバーベキュー会 山の茶屋―天空の茶屋の散策

 連休後半。いろいろと楽しみがあるが、すべて近所でまかなえるのが、ここの良さ。
 いくつか紹介しよう。
 4日夜。隣の宮平稔さん宅で、ご近所のバーベキュー会。
 ジャスミンがとても美しく、超たくさん咲き誇る。写真は翌日朝撮影したもの。
 この芝生のうえで、バーベキュー



 近所の6家族10数名が集まる。子ども・赤ちゃんから高齢者まで。女性がやや多い。
 ユンタクの花開く。30~40年前、中山のイノーでも、タコがたくさんとれた話。今の10倍以上のようだ。
赤ちゃんの命名の話。

 三線で唄も。子どもの踊り・歌も。
この会を、流れる小川の名にちなんでビンガー会とよんでいるが、久しぶりの会だ。元気の中心の方がお休みなので、いつもは静か目の人も張り切ってユンタク。
大騒ぎを、赤瓦の上から眺めるシーサー。これも翌朝、撮影



 会には犬も参加。ゴマちゃん。実は「おばあちゃん」犬だ。だっこする私。幸せを実感する私。




 5日午後、天空の茶屋と山の茶屋を結ぶ大庭園を散策。写真は、その中央に立つウスク(あこう)だ。

 
  
Posted by 浅野誠 at 16:12Comments(0)中山(近隣の話題)

2012年05月06日

労働生産性から環境効率性へ 「進―遅」ではなく 広井本7

 私自身がこれまで大まかに考えてきた、経済成長ということではない時代、競争的に進んでいくのではない時代ということが、具体的な概念枠組として、以下のように提示されている。

 「これまで生産性とは「労働生産性」、つまり“少ない労働力で多くの生産を上げる”ことと考えられてきた。しかし現在の先進諸国では、(中略)構造的な生産過剰と慢性的なヒト余(=失業)が生じている。こうした時代には、むしろ「人」を多く活用し、逆に自然資源を節約することが重要となり、したがって生産性の概念を「労働生産性」から「環境効率性(ないし資源生産性)」(=人はむしろ積極的に活用しつつ、できる限り少ない自然資源や環境負荷で生産を行うこと)へ転換することが本質的な課題となる。
 そうなると、これまで“生産性が低い”典型とされてきた介護や福祉、教育などの分野(=「ケア」関連分野)に全く新しい意義が生まれることになる。ケアという「労働集約的」な分野に資源配分をしていくことこそが(以上のような新たな生産性の概念あるいは失業率の低下といった意味で)「経済」にとってもプラスになるのである。これは、環境効率性ないし資源生産性というものをさらに超えて、いねば「ケア充足性」とも呼ぶべき新たな概念を要請するものと言えるかもしれない。」P39

 「コミュニティは他方で「持続可能性」ということと不可分の関係にあるので、それは環境政策とも補完的となり、また((中略)効率性概念を環境効率性として把握するという論点を通じ)経済にもプラスの効果をもつことになるだろう。」P40~1

 「思えば、成長・拡大の時代には世界が一つの方向に向かう中で“進んでいるー遅れている”といった「時間」の座標軸が優位だったが(たとえば“先進国は進んでいる、都会は進んでいる”等々)、定常期においては各地域の風土的・地理的多様性や固有の価値が発見されていくだろう。あえて単純化して対比すれば、定常型社会とは「時間」に対して「空間」が、「歴史」に対して「地理」が優位となる社会である。」P47~8

 今後の社会展望を考える時、重要な足がかりになる枠組みだろう。私自身も、さらに学習を深めて、私なりにこなれた提起が出来るようにしていきたい。




 写真は、本文に関係なく、バリ島タナロット寺院近くからの夕陽



  
Posted by 浅野誠 at 06:20Comments(0)理論・思想・研究

2012年05月05日

スパとエステの体験 バリ物語19

 他のツアー客が皆行ってよかったということだし、私たちも、最後の日に時間があったので出かけた。
 恵美子と二人で並んでマッサージというか、なんというか、よくはわからないが、いろいろとケアしてもらった。食事もついて約5時間。
 私の人生で、多分最初で最後の体験だろう。
 下の写真の建物の一角でしてもらう。



 正面から建物を見る。ここは、日本人をターゲットにしているようで、店名も日本名だし、客も日本人が多いが、従業員は現地の方たち。
 下の写真は、バリ南部にある店から、北の方向を眺める。




  
Posted by 浅野誠 at 16:20Comments(0)

2012年05月05日

枠を超えた協同を作り出すソーシャルワーク 鈴木本3

 2007年のユニセフ調査によると、「日本では30%の子どもが「孤独を感じる」という説明に同意して」おり、 調査対象の「24か国のOECD(経済協力開発機構)加盟国中10%を越えたのが日本とアイスランドの2か国だけであり,第2位のアイスランドの3倍にもなっている。」P178とのことだ。

 異常事態になっている子どもだけでなく、大人たちにもその傾向がみられ、震災などの事態の中で、そうした状態にあることが大きな弱点となり、災害弱者を一層深刻にする。
他方、異常事態が逆に、枠を超えた協同を作り出しもする。たとえば、

 「「子どもの家庭環境に着目する」という場合,教育現場は子どもに影響を及ぼす家庭の環境という枠でみがちとなる。ソーシャルワークでいう「家庭に影響を与える環境や家庭を取り巻く環境への着目」とずれることがある。しかし,震災後,「学校ソーシャルワーク」に関心を寄せる教師も増え,「家庭には入り込まない」ことを是としてきた職業観の強い教育職にとって,その神話の崩れていく一局面があった。」P13ということだ。

 そのことへ意識的な取り組みをする例も出てくる。たとえば、

 「1つの自治会(仮設住宅)から6つの,しかもそれぞれ異なった自治体の小中学校に子どもが通っているところもある。しかし,そうした状況にあって,授業参観が地域住民の再会の場となり,保護者だけでなく子どものいない住民もやってくる機会となっている小学校があった。教師の負担も大きいが,低中高の学年ごとに学校行事を実施し,町民向けに集いの場を提供する機会を増やした。」P21というのだ。

 また、次のような指摘がなされている。

 「宮城県の学校に対する調査では,学校・家庭・地域の連携による教育支援活動促進事業の「学校支援地域本部」があり,日頃から住民による授業や行事の手伝いが行われていた学校の95%が,避難所運営粗織をスムーズに立ち上げられたと答えている。対して,「学校支援地域本部」のない学校の40%では,混乱がみられている。これは,地域のネットワークが,地域としての課題対応能力の一要因であることを示している。また,この地域住民等のネットワークである地域包括支援ネットワーク構築を総合相談・支援事業として実施している地域包括支援センターの活動が,震災において高く評価されている。」P181

 ソーシャルワークの分野でも、

 「日本においてはファミリーソーシャルワークが定着拡大してこなかった。その1つの理由として,児童福祉法や母子及び寡婦福祉法にもとづいた児童や母子といった家族員の一部のみを対象化した結果であると考えられる。そして,児童家庭支援センターが設置された現在においても、家族再統合のみが重視され,予防的機能も含めた家族全体(母子または父子に限らない)を対象としたファミリーソーシャルワークはほとんど実践されていない。」P179事態にあったが、それを越えようとする動きが出てくる。

 こうした実践状況を踏まえて、編著者の鈴木さんは、本書の「おわりに」で、

 「強く感じたことは,SSWとはチームであるという点です。SSWrが学校に入るということは福祉や医療,保健,心理のチームが入るといった,多様な人的資源を背負ってかかわるという感覚です。
阪神淡路大震災のあと,「ボランティア元年」という表記が多くの社会福祉や福祉教育にみられ,その後の社会現象になりました。今回の東日本人震災では,「チーム支援元年」という表現をしたい。そんな思いがあります。」P234と書いている。

 こうした提起を受けとめるチームとしての取り組みが、各地で広がることを期待したい。


写真は、南城オープンガーデンで撮った写真 識名善光さん宅のラン 


  
Posted by 浅野誠 at 06:21Comments(0)教育・子育て