プロフィール
浅野誠
浅野誠
1972-90年沖縄大学・琉球大学に勤務
1990-2003年中京大学に勤務
2004年より沖縄生活再開
玉城の絶景のなかで田舎暮らし
自然と人々とつながりつつ人生創造
執筆活動、講演・ワークショップを全国にて行う
各大学で非常勤で授業。沖縄大学客員教授
アメラジアンスクールインオキナワ相談役
最近著 『<生き方>を創る教育』(大月書店)
『ワークショップガイド』(アクアコーラル企画)
『沖縄 田舎暮らし』(アクアコーラル企画)
 
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2008年11月21日

渡邉欣雄『世界のなかの沖縄文化』(沖縄タイムス社)を読む

  これまた県産本フェアで購入したものだ。1993年初刊で、2007年第四刷だ。ずいぶん広く長く読まれているようだ。
  私が沖縄外にいる時にでたもので、この本のことは知らなかったので、私にとって空白期間を「埋める」意味もあろう。

  タイトルにあるように、沖縄文化を世界的視野のなかで見ている点で、注目される。
  20年以上前、私が『沖縄県の教育史』を執筆している時、教育、とくに人々の子育てにかかわる史料が大変みつけにくい状況のなかで、人類学民族学民俗学の書籍を濫読し、教育にかかわるものをみつけ、教育学の立場から再構成しようとつとめていた。そのなかに、著者の著作もふくまれていたが、この分野の素人である私にとって理解困難なことが多かった。その点で、この書籍は大変理解しやすく、初刊の1993年の数年前に発刊されていれば、参考にさせていただくことが多かったのに、と思ういまごろである。
  と同時に、これらの分野の書籍のなかには、沖縄のさまざまな習俗が長く続く固定的な習俗であるかのように述べる傾向が強くみられるものがあり、そこでの指摘が沖縄のなかで歴史的にどのように形成されてきたのか、また海外との文化交流のなかでどのように位置づくのかなどが読みとりにくいものが多かった。そこで、それらが述べていることを私なりの解釈で再構成させていただくことがしばしばであった。
  そうした点にかかわって、著者が、この本のなかで以下のように述べている点に、私は共感する点が多い。と同時に、「あー、そうだったのか」と気づかされることが多かった。

  この著書の全体を貫く視点として、最終章などで以下のように述べられている。
  「わたくしが本書各章を通じて言いたかったこと、それは『沖縄文化を人類文化の一つとして考えるべきだ』ということに一点につきている。」
  「これまで『沖縄文化の固有性』について語られてきたのは、主として大和文化との比較においてであった。しかし世界を見渡してみると、たとえばノロ(女祭司)が『沖縄にしかいない存在』であり、その神事が『沖縄文化の固有性』を証明するものだとはいえないことを、本書で知っていただきたいのだ。」
   「沖縄文化は、その構成要素がすべて外来文化に求められるような、そんな<つぎはぎ>だらけの文化なのではない。逆に近隣文化から輸入され、影響されたであろう文化は、みごとに<沖縄化>しているのではないか。門中しかり、位牌しかり、風水しかり、ハーリーしかり、・・・・」

  こうした視点にもとづいて、たとえば、
  (綱引きにかかわって)「沖縄文化内部だけで沖縄文化を考える傾向を、わたくしは<土着主義>と呼んでいる。土着主義では、もはや、沖縄文化はわからないと思う。すでに沖縄文化の特徴は、このように世界に通じていることが分かっているからだ」
  (ハーリーにかかわって)「ハーリーは、沖縄の人びとの生活目的にそってアレンジされた、独自の行事だと理解すべきだ。」
  「沖縄では、神郷からの神幸のためという理由が一般的で、目的は五穀豊饒や防疫のためであることが多い。競舟文化は、どこどこの文化の模倣だと考える必要はまったくない。文化を輸入しても、外来文化はその民族の生活体系のなかでアレンジされ、新たな文化に作り替えられてしまう。創造された文化の世界的類似性。それこそが人類文化の遺産として、最もすべき遺産なのだ。」
  (仮面仮装文化にかかわって)「世の学者たちは、遠く隔たった双方の文化に酷似する習俗を発見すると、双方の類似性を究めんがために、太古の『民族移動』を想定して、壮大な<文化伝播論>を説こうとする。しかし人類文化の創造力は、この理論が考えるほど、『単一起源』に属するものだとはいえない。」
  (カイダー文字にかかわって)「文化変容とは、異なる文化の接触により、一方または双方の文化が変化することをいうが、東アジアの文化変容研究は、ともすると<影響する側>からの研究に陥りがちになる。この視点は、『常に支配者側から文化変容をみてきた』という、従来研究への批判と反省とを軽視する傾向に走りやすい。だからこの視点からは、沖縄の漢文化受容の主体性がみえなくなることを、わたくしはつとめて憂うのである。」
  (地割制にかかわって) 「沖縄文化は、すべて近隣文化の模倣で成り立っていたのかどうか? 中国の『井田法』も薩摩の『門割制』も、そしてまた沖縄の『地割制』も、みな土地に対する人類の分配精神を表わしたにすぎないものではなかろうか。」

   大変参考になる指摘がつらなっている。無論、これらの指摘に対して、特定の文化の影響や外からの強力な支配の結果だというような批判説も存在しよう。いずれにしても、世界的な共通性と文化影響・支配の存在、そして沖縄の独自の発展といったこと全体を視野に入れて、検討を深めていくことが必要であろう。単純に、どこかの文化の影響・支配の結果というだけで解釈することの危険性に対する強い警告的示唆を行っている本といえよう。

   いずれにしても、私がもし沖縄教育史の作業を再開するならば、この著書で示された問題提起を大いに視野に入れていくことが最低限必要だと思う。