2008年11月28日
辻信一『スロー・イズ・ビューティフル』(平凡社)を読む 1
若い知人から、この本をプレゼントしていただいた。
辻信一さんの名前は、2年くらい前、中村 隆市「スロービジネス ナマケモノブックス 02」(ゆっくり堂2004年)の編集を担当した方からいただいた、その本を読んでからであった。
その本のなかに、辻さんが登場してきて、印象深かったのだ。
まさに「スロー」にこの本を読んでいる。興味津々というか、共感するところが多い本である。
そこで、少しづつコメントしていくことにしよう。
まず「まえがき」だ。
----成長、景気、GDP、効率、競争、大量生産、大量消費、大量廃棄、開発、科学技術、IT、遺伝工学。思えば、これらを合い言葉とするぼくたちの社会は、実はぼくたちの身体性や日常生活や文化をめぐる夥しい数の否定形によってこそ可能になったのです。それまでのぼくたちの慎ましやかな経済は、生業は、生活の技術は、伝統的な知恵は、食生活は、人と自然とのつながりは、人と人との結びつきは、愛は、美意識は、身体性は、あまりにもスローなものとして否定され、卑下されて、いわばそれらの残骸の上に、「豊かな社会」という名の怪物は栄えました。
(中略)だからぼくたちの社会は、時代は、自己否定や自己憎悪という呪詛に満ちている。----
なるほどと思い、共感を深くする。
そして、青春時代の私は「自己否定」という言葉を愛していたことを思い出す。同類の「克己」「克服」という言葉もそうだ。ノートの表紙に「自己否定」というタイトルをつけたこともある。
そして、それらは、「努力」「頑張る」という言葉とつながっていた。
時代は、高度経済成長に移行する時期だ。
そして、「田舎」から「都市」に出た私は、カルチャーショックを受けながら、必死になって「ガンバリ」、このコースのなかを競争的に、必死になってつきすすんでいった。
そしてまた、「社会にめざめ」「社会の改革」を志すようになっても、同じトーンというか、ますますこんな言葉に彩られるライフスタイルで「がんばった」。体が弱い私だったから、「身体からの異議申し立て」がしょっちゅうであったが。
第一章で、ドネラ・メドウズの引用だが、こんな一節がある。
---世界を危機から救わなければならない、と思っている人たちというのは解決策を売り込もうとみんな忙しく駆け回っていますね。(中略)確かに熱狂は変革者の心に性急さ、過労、不寛容、あせり、いらだちを生み、内面的な平和をかき乱す一種の暴力ともなりますよね。内面の平和を知らない人に果たして、人の世の平和がイメージできるものかしら。---
まさにその通りである。私は忙しく駆け回ってきた。
1972年からの沖縄生活は、私を少しは「スローダウン」させたし、またこうした問題に気づき、1990年代の初頭に「休む」ことに関する論文を書いたのだが、それらにもかかわらず、忙しく駆け回ることはずっと続いていた。
本気になって、自分の生活をスローにしたのは、2000年の後半からだ。身体が明瞭にストップをかけたのだ。それでも、スローな生活への移行には「ずいぶん」抵抗を感じた。外からのまなざしとしてそう感じたこともあるが、それまでの私自身の生活のなかで染みついた私自身のまなざしからも「抵抗」された。
ようやくスローな生活をしていると実感できるようになったのは、玉城生活をはじめる2004年ころからのことである。それでも、時々、忙しく駆け回るスタイルが顔をのぞかせたりするが。
こんな調子で、この本のなかで印象深いところについて、連載で書いていくことにしよう。
辻信一さんの名前は、2年くらい前、中村 隆市「スロービジネス ナマケモノブックス 02」(ゆっくり堂2004年)の編集を担当した方からいただいた、その本を読んでからであった。
その本のなかに、辻さんが登場してきて、印象深かったのだ。
まさに「スロー」にこの本を読んでいる。興味津々というか、共感するところが多い本である。
そこで、少しづつコメントしていくことにしよう。
まず「まえがき」だ。
----成長、景気、GDP、効率、競争、大量生産、大量消費、大量廃棄、開発、科学技術、IT、遺伝工学。思えば、これらを合い言葉とするぼくたちの社会は、実はぼくたちの身体性や日常生活や文化をめぐる夥しい数の否定形によってこそ可能になったのです。それまでのぼくたちの慎ましやかな経済は、生業は、生活の技術は、伝統的な知恵は、食生活は、人と自然とのつながりは、人と人との結びつきは、愛は、美意識は、身体性は、あまりにもスローなものとして否定され、卑下されて、いわばそれらの残骸の上に、「豊かな社会」という名の怪物は栄えました。
(中略)だからぼくたちの社会は、時代は、自己否定や自己憎悪という呪詛に満ちている。----
なるほどと思い、共感を深くする。
そして、青春時代の私は「自己否定」という言葉を愛していたことを思い出す。同類の「克己」「克服」という言葉もそうだ。ノートの表紙に「自己否定」というタイトルをつけたこともある。
そして、それらは、「努力」「頑張る」という言葉とつながっていた。
時代は、高度経済成長に移行する時期だ。
そして、「田舎」から「都市」に出た私は、カルチャーショックを受けながら、必死になって「ガンバリ」、このコースのなかを競争的に、必死になってつきすすんでいった。
そしてまた、「社会にめざめ」「社会の改革」を志すようになっても、同じトーンというか、ますますこんな言葉に彩られるライフスタイルで「がんばった」。体が弱い私だったから、「身体からの異議申し立て」がしょっちゅうであったが。
第一章で、ドネラ・メドウズの引用だが、こんな一節がある。
---世界を危機から救わなければならない、と思っている人たちというのは解決策を売り込もうとみんな忙しく駆け回っていますね。(中略)確かに熱狂は変革者の心に性急さ、過労、不寛容、あせり、いらだちを生み、内面的な平和をかき乱す一種の暴力ともなりますよね。内面の平和を知らない人に果たして、人の世の平和がイメージできるものかしら。---
まさにその通りである。私は忙しく駆け回ってきた。
1972年からの沖縄生活は、私を少しは「スローダウン」させたし、またこうした問題に気づき、1990年代の初頭に「休む」ことに関する論文を書いたのだが、それらにもかかわらず、忙しく駆け回ることはずっと続いていた。
本気になって、自分の生活をスローにしたのは、2000年の後半からだ。身体が明瞭にストップをかけたのだ。それでも、スローな生活への移行には「ずいぶん」抵抗を感じた。外からのまなざしとしてそう感じたこともあるが、それまでの私自身の生活のなかで染みついた私自身のまなざしからも「抵抗」された。
ようやくスローな生活をしていると実感できるようになったのは、玉城生活をはじめる2004年ころからのことである。それでも、時々、忙しく駆け回るスタイルが顔をのぞかせたりするが。
こんな調子で、この本のなかで印象深いところについて、連載で書いていくことにしよう。
Posted by 浅野誠 at 20:14│Comments(0)
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