私のワークショップへの興味深い多様な反応 中小企業家同友会大学受講生コメント1
昨夏開かれた沖縄県中小企業家同友会主催の第18回同友会大学の「卒業論文」へのコメント依頼があった。
私は、もう数回目になるが、毎年、教育問題の講座をワークショップ形式で担当している。「卒業論文」といっても、通常の卒業論文イメージではなく、受講生の各講座への意見・感想などの小文だ。担当講師にとって、受講生の反応を知るうえで貴重なものだ。
たとえば、
「今までに無い授業で、最初はとまどいましたが、とても楽しく過ごせました。グループで話し合い意見をまとめるのが難しかったです。」
「浅野先生の講義はとても独特で、今までになかった講義内容でした。
体を動かし、考えるという講義内容でした、学校で学んだ事が今に生きているか?想像力、開発力、はどうか?
の問いには思わず考えさせられました。」
というコメントがあった。
これらは、私のワークショップに限らず、他の人がするワークショップにあっても、その多くに出てくる反応の一つだ。これまでの学習とか研修とかでは、講師が提供する知識・主張・メッセージを聴きとることがまずは中心的な焦点となりやすい。そこで受け取った知識・主張・メッセージを、記憶することなど自分自身のものとすることが次のステップだ。それらを批判的に検討する、ないしは自分が置かれた場で応用発展させることへとつなげる人もいよう。
だが、ワークショップでは、講師は知識・主張・メッセージを直接的な形では提供しないのが普通だ。それらは、参加者自身が出し合い、作り合うのだ。その出し合い、作り合いがうまく進むようなコーディネイト的な役割を果たすのが講師の仕事だから、コーディネイターとかファシリテイターとか呼んだりする。
だから、次のような反応が出てくるのも想定内というか、予想通りである。
「話の内容にまとまりがなく何を言いたいのかさっぱりわからない。ワークショップらしきものも「沖縄の学校の場合は?」といったかと思えば「自分の行ってた学校の場合は?」といってみたりそこから何がひきだされるのか意味不明。グダグダ」
「正直言って、浅野先生の講義は何か言いたいのかよく解らなかった。先生が言う「慣れ切り過ぎ」のスタイルにはまっているのだろうか。ワークショップ形式の討論に慣れていない事が原因なのか、みんなで輪になってゲーム的に話を進めていく事に違和感を覚えた。楽しかったと思うが、結局の所なにを言いたいのか解らなかった。」
「講師」からの直接的な強いメッセージを期待して参加される方が、このような反応を示されるのは予想できる。そういう方は、「講師」「講義」という用語を使われることが多いが、「講師」がする「講義」はそういう性格のものだからだ。
それに対して、ワークショップではまったくといってよいほど異なる。私の場合は、直接的なメッセージを出すことを極力避ける。さらにいうと、多様な考えが出てくるように、意図的にすすめる。一つの考えにまとまり過ぎる時に、あえて少数意見、あるいはそれまでに出てこなかった意見を私が出すことさえ多い。だから「なにを言いたいのか解らなった」という反応がでてくるように進めたのだ。その中で参加者一人ひとりが自分なりの考えを作り深めていくことを、共同の場ですすめるように運んだのだ。
だから、私のメッセージは、共同作業・討論のなかで、参加者自らが発見創造してほしいという間接的なものであり、それはかなり強力なメッセージなのだ。次のコメントは、そうしたことに対応するものといえよう。
「講師が一方的に説明し受講生は聴くだけという「慣れ切り過ぎ」スタイルにこのワークショップ形式の導入は斬新で画期的なアイデア。また、このワークショップ形式は、企業が社員に求める「提案能力」「実行能力」「コミュニケーション能力」等と連動し、遊びの感覚で学べる点は集中力を高める効果がある。それに、学生や社員がワークショップ形式で問題や課題等をテーマに取り上げ、議論し問題を共有することができるのもこの形式の利点で様々な意見を集約できる。
しかし、大事なのは、この形式の本質を学生や社員が理解し、意見を出し合い、考え方や能力を引き出すことが重要で、方向性を間違うとゲーム扱いで流される可能性があり、まとめ役を置く必要がある。」
このように、ワークショップ経験をほとんどもたれない参加者が、とまどわれることは当然だ。「とまどわないとまずい」といってよいほどだ。「模範生」タイプにありがちな、自分の考えを抑えて講師迎合的な受講態度をもっていたとしたら、『とまどい』をその態度変更のきっかけにしてほしいからだ。
15コマも継続するワークショップ型の大学授業では、数回ぐらいすると、戸惑いが消えるのが普通だが、一回目だとまだ半分ぐらいの学生はとまどい状態にある。特に、自分の意見を出すことに慣れていない受講生はとくにそうだ。
だから、今回のように、2時間ぐらいの長さだと、最後まで戸惑う人がいることは当然だろう。
それにしても、私は、間接的な形であるが、『参加者が共同で発見創造をすすめることが重要だ』という強いメッセージを出している。それについての反応は、次回に書こう。
写真は本文に関係なく、洋蘭博覧会で撮影。
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