農耕社会論から交易社会論へ グスク時代 吉成本4

浅野誠

2012年06月08日 06:12

 本書は、11~14世紀のグスク時代について、以下のように概括する。

 「グスク時代は沖縄島の各地に有力者(按司)が出現した時代である。かれらが居住していた場所が、城塞化した大型グスクである。こうした有力者が現れる前段階に貝塚時代終わり頃以降の農耕社会の発展があるとする見方が有力であったが、農耕の開始は十一世紀を遡ることはなく、こうした短期間では十三世紀後半に登場する広大な浦添グスクなどの築造を説明することはできない。こうした流れの中で「農耕社会論」から、貝交易を基盤とする社会から有力者が誕生したとする「交易社会論」に転換していくことになる。しかし、弥生時代並行期以降の貝交易の過程で、沖縄諸島社会はいったん社会の複雑化に向かうが、奄美、薩南の島々が仲介者として関与することによって財の分散化が起こり、さらにヤコウガイ交易段階では奄美大島が中心的な位置を占めるに及んで、沖縄諸島社会は衰退に向かうことになる。したがって、グスク時代開始期以降の沖縄諸島社会の発展は、グスク時代以降にその要因を見出さなければならない。交易社会を形成する主体になったのは、グスク時代開始期に渡島した外来者たちである。
 しかし、交易社会論によるにしても、短期間のうちに急激な財の蓄積を説明することはできても、十三世紀に野面積みの石垣構築技術が登場して問もない時期に、広大な面積を持つ浦添グスクが形成されることになる過程を説明することは難しい。グスク時代に入っても、沖縄諸島ではカムィ焼と貝塚時代終わりの平底土器が共伴するという指摘があることを考えれば、前段階的様相を残しながら突如として大型グスクが築造されたと考えざるをえない。グスク時代より前の準備段階を欠き、石垣構築技術の導入と時を同じくするように大型グスクが建造される過程を説明するためには、その背景に、多くの石工や土木技術者の渡来を想定する必要があるとともに、そうした技術者の動員を可能にした権力者の性格を考える必要がある。」P249

 「グスク時代の開始を象徴するのは交易圏の拡大であった。(中略)その契機になったのは、喜界島の交易拠点をはじめとする奄美群島の北三島(喜界島、奄美大島、徳之島)の果たした役割である。(中略)この交易圏、土器文化圏の形成は喜界島の交易拠点に関与した商人を中心とする人びとが拡散し、移住したことによると考えられる。沖縄諸島以南の土器文化が一新されたことは、人びとの移住によってもたらされたと考えるほかなく、それはグスク時代開始期を前後として出土人骨が大きく変化していることによっても裏づけられる。その変化は、縄文人から弥生人への変化に匹敵する。(中略)
 沖縄諸島以南のグスク時代の幕開けが喜界島の交易拠点にかかわる人びとの拡散・移住だとすれば、喜界島の台地上の居住地(城久遺跡群)と港湾という関係がモデルになったと考えられる。この関係は、後の浦添グスク―牧港、今帰仁グスク―運天、首里グスク(首里城)―那覇などの関係に継承されているように思われる。」P175-6

 「グスク時代に入ると台地上に集落が形成されるのも、また貝塚時代後期後半からグスク時代初期にかけて、石灰岩台地の洞窟に遺跡が多くみられるのも(中略)、農耕適地を求めてというよりも、外来者と在地の人びととの軋轢の結果ではないかと考えられる。貝塚時代終末の、勝連グスクの近くの平敷屋トウバル遺跡から出土している金属製の武器―刀の鐔や鉄鏃―にしても、按司の出現にかかわる資料(中略)というよりは、外来者との間の戦闘を物語る資料ではなかろうか。」P184

 「こうした本土様式の甲冑を身にまとった武者の存在は、本土からの影響が、グスク時代開始期以降も続いていたことを推定させる。」P184

 外来者との戦闘などは、私にとっては初見であり、大変刺激的な指摘の連続である。これらの文が示すように、1980年代までの有力説とは、かなり異なる把握が有力になっているようだ。
 つまり、本書が扱う時期の研究は、ここ20年余りの間に猛スピードで蓄積され、20~30年前の有力説の多くが、修正を加えられている。

 では、その時期以降の500年余りの時期についてはどうか。私の学習不足があるので、きちんとしたことはいえないが、その研究発展も、それ以前の時期と比べるほどでないとしても、通史枠組みには一定の変更を求めるものかもしれない。
 このことを教育史にかかわっていうと、戦前に形成された有力な枠組みが、1960年代から1990年代までの研究によって一定程度修正されてきた。私の「沖縄県の教育史」は、その最後の時期に当たる。そしてそれ以降、研究の量が大きく蓄積している。それらはそろそろ全体枠組みそのものの新たな修正を求め始めていると言えよう。それには、本書が示すような教育史以外の研究成果も強い刺激を与えるだろう。


写真は、本文とはかかわりなく、潮花御嶽の土台に位置する巨大岩石
 




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