風水 抱護林 馬場 道の今後 上里隆史「琉球古道」を読む2

浅野誠

2012年08月02日 06:26

 次の記述に注目したい。

 「今帰仁グスクの周辺にあった旧今帰仁村・親泊村とは対照的に、移転後の今泊村は整然とした碁盤目状の区画に街路がはりめぐらされ、屋敷の向きも揃えられている。屋敷囲いにフクギの木が並び、集落の中央にはなぜか二車線の直線道路がある。フクギの並木は防風林だとの説明がよくされる。確かにそうした効果はあるのだが、この木が植えられた当初の目的はそうではない。風水のためである。
 風水とは簡単にいえば、大地には「気」というエネルギーが存在しており、その気をいかに取り込み、人や村の繁栄に活かすことができるかの方法である。
 大地には気が湧き出るポイントがあり、その気が水に沿って流れ、風によって飛ばされてしまうという性質を持つと考えられていた。沖縄ではこの気を集落や屋敷内に取り込むため、樹木で囲うことによって気が風で飛ばされることを防いだ。「伝統集落」のフクギ林にはそうした役目があり、防風林としての効果は副次的にもたらされたものにすぎない。樹木によって集落や屋敷を包みこみ、気を逃がさない方法は「抱護」と言われ、その樹木は抱護林と呼ばれる。」P108~9

 風水について初心者である私には、「初耳」であることが多い。だが、地域に暮らしていると、風水にかかわるこのような説明に「なるほど」を思うことが多くなる。抱護林は南部各地でもあったろうが、戦争で破壊されたためか、見ることは少ない。私が住む中山でもそうだ。

 「今泊村の集落のど真ん中にある大きな直線道路は、実は王国時代には馬場だった場所である。先述のようにかつての沖縄には馬がたくさん飼育されていた。近世期の各村では農耕やサトウキビを圧搾するローラーの動力源などに馬を使ったが、馬場では「馬勝負」、すなわち競馬が娯楽としてさかんに行われた。大きな直線道路はその名残なのである。馬場は各集落に存在したが、現在確認されているだけで実に一九八ヵ所にのぼる。今泊の馬場跡の前には神アシャギという神殿と公民館が立地していて、集落の中心に馬場があったことがわかる。」P110

 馬場は、中山でも、ここにあったという話を聞いた。人々が集まる場所は、集落移動もあって、かつての馬場あたりではなく、現在の公民館周辺へと移っている。
 道が、自動車移動の手段化してくると、人々のつながりのあり方も変わってくる。では、今後どうなるのだろうか。今、中山集落を真っ二つに割る形で通る国道331号線のバイパス道路建設が進む。完成後は、どうなるだろうか。かつては、この道路で、綱引きも行われたというが、再び、そこで行われるようになると面白いだろう。もっとも現在の国道は、かつて軍道と呼ばれたものだが。旧道は、馬場があったあたりを通る。
 建設中のバイパスは、字中山の聖地の真下をトンネルで通る。新道路は、こうした風水や聖地よりは効率原理が優先的だ。
 こうした道の変化をたどることは、人々の暮らし・思想・信仰ともからんで興味深いことだ。 


写真は、本文に関係なく、我が家から見た海上の雲



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