2013年01月29日
ベテランが年功序列式に管理職になることをめぐって
会社や組織で長年経験を積み上げてきたベテランが管理職を務め、中堅若手がそのもとで働くというスタイルが、通常であると、余りにも思いこまれているのではないか。
大企業や行政機関などでは、そうしたスタイルが広く見られ、年功序列秩序と結びあっているようだ。さらに、それが給与額ともつながる。また、社会的地位とか名誉とかにも連結することが多い。
政治家のなかでも、そうしたスタイルが結構残っており、当選回数がもの言うことも多そうだ。町内会や自治会などでも、そうしたスタイルが多いかもしれない。中学高校大学などの学生生徒組織でもその傾向が強い。部活の先輩後輩関係などはその典型だろう。
ベテランの方が、経験をもとに物事や人間関係によく通じているだろうし、それがリーダーシップを発揮することにつながるだろう、というわけだ。そういうことではなく、長幼秩序ないしは「敬老の精神」で、年齢が上というだけで、管理職・リーダー的役割を任されるということもありそうだ。
大学などでも、こうした要素が結構ある。学長・学部長就任の際にも、さらには教授―准教授―講師―助教などの職階にもそれが現れる。講座制がきっちり存在していた時代、研究実力が教授より助教授の方が高い時に、いろいろな問題が陰で生じる話はよく聞いたものだ。研究的に先細りが予測できる教授が「居場所」を求めて学部長になりたがる事例さえ耳にした。
こんな慣習があるところでは、管理職は50代をピークに、40代後半から60代に集中する。
ところで、この年齢時期の人たち、とくに男性に健康問題が大量発生している。また近年話題になる自殺にしてもそうだ。それは、この時期の人たちに、仕事上のストレスが集中しやすいこととからんでいるだろう。そして、そのストレスは、管理的業務の多さとからむだろう。管理的業務が多くなると、時間外業務が増えるなども含めて、業務過剰状態が慢性化しやすい。特に「真面目な」人は、多様な業務を過剰に引き受けやすい。「いい加減」な人、また、体力に自信がある人ならこなせることも、対応できずに行き詰ってしまう人は多い。
こうした管理的業務を引き受ける人には、退職後に疲れがどっと出てしまう人もいる。それを避けるために早期退職する人も多い。昨年9月の記事でも紹介したが、校長・教頭を務めた男性教員の平均寿命の低さが驚かれる。同じような事態は、いろいろな場で見られる。
そういう私も、40代末から50代初めの繁忙で、体力的精神的にダウンしてしまい、早期退職を実行した。無論、もともと早期退職のつもりだったが、それを確定促進させることになった。
そうした事態を避けるためには、管理的な仕事を避ければいいのではないか、という問題が登場してくる。だが、40代50代の男性の心を縛っている「ベテランになったら管理職になることが必要だし、それが社会的地位・収入などとつながる」という社会的慣習の圧力はかなり強い。そこから自由になるには、かなりの決断が必要だろう。
年齢的に、仕事の最終期は、確かにベテランとしての力量が高い時期だろうが、体力的にはぐんと落ちる時期だろう。この両者の矛盾をどうしたらよいのだろうか。このことを次回考えてみたい。
写真は本文に関係なく、我が庭のナデシコ
大企業や行政機関などでは、そうしたスタイルが広く見られ、年功序列秩序と結びあっているようだ。さらに、それが給与額ともつながる。また、社会的地位とか名誉とかにも連結することが多い。
政治家のなかでも、そうしたスタイルが結構残っており、当選回数がもの言うことも多そうだ。町内会や自治会などでも、そうしたスタイルが多いかもしれない。中学高校大学などの学生生徒組織でもその傾向が強い。部活の先輩後輩関係などはその典型だろう。
ベテランの方が、経験をもとに物事や人間関係によく通じているだろうし、それがリーダーシップを発揮することにつながるだろう、というわけだ。そういうことではなく、長幼秩序ないしは「敬老の精神」で、年齢が上というだけで、管理職・リーダー的役割を任されるということもありそうだ。
大学などでも、こうした要素が結構ある。学長・学部長就任の際にも、さらには教授―准教授―講師―助教などの職階にもそれが現れる。講座制がきっちり存在していた時代、研究実力が教授より助教授の方が高い時に、いろいろな問題が陰で生じる話はよく聞いたものだ。研究的に先細りが予測できる教授が「居場所」を求めて学部長になりたがる事例さえ耳にした。
こんな慣習があるところでは、管理職は50代をピークに、40代後半から60代に集中する。
ところで、この年齢時期の人たち、とくに男性に健康問題が大量発生している。また近年話題になる自殺にしてもそうだ。それは、この時期の人たちに、仕事上のストレスが集中しやすいこととからんでいるだろう。そして、そのストレスは、管理的業務の多さとからむだろう。管理的業務が多くなると、時間外業務が増えるなども含めて、業務過剰状態が慢性化しやすい。特に「真面目な」人は、多様な業務を過剰に引き受けやすい。「いい加減」な人、また、体力に自信がある人ならこなせることも、対応できずに行き詰ってしまう人は多い。
こうした管理的業務を引き受ける人には、退職後に疲れがどっと出てしまう人もいる。それを避けるために早期退職する人も多い。昨年9月の記事でも紹介したが、校長・教頭を務めた男性教員の平均寿命の低さが驚かれる。同じような事態は、いろいろな場で見られる。
そういう私も、40代末から50代初めの繁忙で、体力的精神的にダウンしてしまい、早期退職を実行した。無論、もともと早期退職のつもりだったが、それを確定促進させることになった。
そうした事態を避けるためには、管理的な仕事を避ければいいのではないか、という問題が登場してくる。だが、40代50代の男性の心を縛っている「ベテランになったら管理職になることが必要だし、それが社会的地位・収入などとつながる」という社会的慣習の圧力はかなり強い。そこから自由になるには、かなりの決断が必要だろう。
年齢的に、仕事の最終期は、確かにベテランとしての力量が高い時期だろうが、体力的にはぐんと落ちる時期だろう。この両者の矛盾をどうしたらよいのだろうか。このことを次回考えてみたい。
写真は本文に関係なく、我が庭のナデシコ
Posted by 浅野誠 at 19:14│Comments(0)
│生き方・人生