2011年02月17日
硬い土の層・我が畑の土・土づくり 私流と自然栽培5
木村講演で強い印象を与えた一つは、根が入り込むのを止める、土の中の硬盤層を壊すことが鍵になるという話だ。「日と土と水」によれば、化学肥料や有機肥料の多用は、「肥毒層」をつくるという。そこは硬く低温だという。そこを壊し除去することが必要だとのこと。
硬盤層のことはなるほどと思う。
ところで、我が畑は、「肥毒層」はない。硬盤層はどうかというと、層というよりも、一定の深さ以上はずっと硬盤だ。クチャ=粘板岩が限りなくあるからだ。我が畑の基盤には、このクチャ、その上に、数十年前に畑であったこともあってできた、また森の樹木が作ったジャーガルがある。建物建築の基礎工事をした際にわかったが、ジャーガル層は厚くない。すぐにクチャ層になる。ジャーガル層なしにクチャ層むき出しのところさえある。また、工事後の埋め戻しには、岩石入りの島尻マージが使われ、建物近くはそうなっている。
だから、畑・庭にするためには、クチャ層、島尻マージを「土」にしていかなくてはならない。それをしないで、「土」なし状態で植えた芝生は、元気がなく、今では消失しそうだ。
この6年間で、畑全体に木の枝葉を入れ込む作業がほぼ一巡した。現在、「土」層が、20センチ余りになっただろうか。ようやく野菜などの収穫がまあまあ状態になった。
そして、不耕起式にしてから2年ほどたつ。
土について、「日と土と水」書に、次のような記述がある。
「耕作している上を一センチ作るのに一〇〇年~一五〇年かかるといわれています。だいたい耕作に必要な土の深さは三十センチといわれていますから、その三十倍の年月がかかって初めて作物を作れる土になることができます。
土ができているからこそ、山々は絶えることなく永続的に繁茂し、生命を繋ぐことができます。そこには病害虫は確かにいるのでしょうが、バランスが取れています。ですから丸裸になっている山々は存在しません。腐っていて異臭を放つ山もありません。」 P95
木の枝葉、ススキやサンニンや雑草などを、土の中に入れることを中心にした「私流堆肥づくり」、というこの6年間の作業の一つは、この作業だったのだな、と思う。
「日と土と水」書の次の記述も、このことに関係がある。
「実際に農家は土ができるまでの一〇〇年間を、ただひたすらじっと待っているわけにはいきません。耕したり、堆肥を入れるなどの技術を用いることで、一〇〇年で一センチしかできない土の進化を早め、促進します。
昔から土を作ることが農家の仕事でした。それが本来の姿であるにも関わらず、いつしか肥料を入れること一辺倒になってしまいました。そうなったが故に白然観が狂ってしまったのです。
生物のいない土から生物のいる土への変化し、石に日光や湿りという条件が加わり、苔が生え、そして長い年月をかけて土ができ、それにより更なる植物の進化が促進されました。
日本の山林では年間一ヘクタール当たり六~七トンの草や木、葉が朽ちて循環しています。こうした枝や葉に肥料成分があるのかといえばほとんどない。
つまり枝や葉などが地面に落ちることと肥料とでは、まったく違うこと。似て非なるものを意味しているのです。
では何のためかといえば、土を作っているのです。肥料ではないのです。ここはちょっと難しいかもしれませんが、肥料と植物の循環とはまったく違います。枝や葉などは土を柔らかく、温かくするためにあります。」
P99~100
大変興味深い記述で、参考になる。ただ、土が肥料でないとしても、栄養分は多少あると思うのだがいかがだろうか。
硬盤層のことはなるほどと思う。
ところで、我が畑は、「肥毒層」はない。硬盤層はどうかというと、層というよりも、一定の深さ以上はずっと硬盤だ。クチャ=粘板岩が限りなくあるからだ。我が畑の基盤には、このクチャ、その上に、数十年前に畑であったこともあってできた、また森の樹木が作ったジャーガルがある。建物建築の基礎工事をした際にわかったが、ジャーガル層は厚くない。すぐにクチャ層になる。ジャーガル層なしにクチャ層むき出しのところさえある。また、工事後の埋め戻しには、岩石入りの島尻マージが使われ、建物近くはそうなっている。
だから、畑・庭にするためには、クチャ層、島尻マージを「土」にしていかなくてはならない。それをしないで、「土」なし状態で植えた芝生は、元気がなく、今では消失しそうだ。
この6年間で、畑全体に木の枝葉を入れ込む作業がほぼ一巡した。現在、「土」層が、20センチ余りになっただろうか。ようやく野菜などの収穫がまあまあ状態になった。
そして、不耕起式にしてから2年ほどたつ。
土について、「日と土と水」書に、次のような記述がある。
「耕作している上を一センチ作るのに一〇〇年~一五〇年かかるといわれています。だいたい耕作に必要な土の深さは三十センチといわれていますから、その三十倍の年月がかかって初めて作物を作れる土になることができます。
土ができているからこそ、山々は絶えることなく永続的に繁茂し、生命を繋ぐことができます。そこには病害虫は確かにいるのでしょうが、バランスが取れています。ですから丸裸になっている山々は存在しません。腐っていて異臭を放つ山もありません。」 P95
木の枝葉、ススキやサンニンや雑草などを、土の中に入れることを中心にした「私流堆肥づくり」、というこの6年間の作業の一つは、この作業だったのだな、と思う。
「日と土と水」書の次の記述も、このことに関係がある。
「実際に農家は土ができるまでの一〇〇年間を、ただひたすらじっと待っているわけにはいきません。耕したり、堆肥を入れるなどの技術を用いることで、一〇〇年で一センチしかできない土の進化を早め、促進します。
昔から土を作ることが農家の仕事でした。それが本来の姿であるにも関わらず、いつしか肥料を入れること一辺倒になってしまいました。そうなったが故に白然観が狂ってしまったのです。
生物のいない土から生物のいる土への変化し、石に日光や湿りという条件が加わり、苔が生え、そして長い年月をかけて土ができ、それにより更なる植物の進化が促進されました。
日本の山林では年間一ヘクタール当たり六~七トンの草や木、葉が朽ちて循環しています。こうした枝や葉に肥料成分があるのかといえばほとんどない。
つまり枝や葉などが地面に落ちることと肥料とでは、まったく違うこと。似て非なるものを意味しているのです。
では何のためかといえば、土を作っているのです。肥料ではないのです。ここはちょっと難しいかもしれませんが、肥料と植物の循環とはまったく違います。枝や葉などは土を柔らかく、温かくするためにあります。」
P99~100
大変興味深い記述で、参考になる。ただ、土が肥料でないとしても、栄養分は多少あると思うのだがいかがだろうか。
Posted by 浅野誠 at 07:15│Comments(0)
│庭・畑と農作業