2013年03月16日
帯津良一さんの壮大で勇ましい死生観
貝原益軒の「養生訓」を紹介コメントした帯津さん本のなかに、次のような一節がある。
「ここで語られている養生とは、身体を労り、病を未然に防いで天寿を全うするという、どちらかと言えば消極的で守りの養生である。
しかしこの考え方は、あくまでも身体を対象とするもので、死を以て終われりとするところが私には物足りない。これからの養生は焦点を身体から生命に移し、生命のエネルギーを日々高めていって、死ぬ日を最高のレベルにもっていき、その勢いて死後の世界へ突入する。それまでには虚空へ還るための準備期間であり、地上エネルギーを充填した我々は、また百五十億年の彼方へと旅立つ。それが「死」なのだと思う。こうした死を前にして、クライマックスともいえる現在の生命の躍動が待っているのだ。こう考えると楽しくなるではないか。」(帯津良一編著「図解雑学 養生訓」ナツメ社2012年P22)
この考え方は、帯津良一「死を思い、よりよく生きる」(廣済堂2007年)に、より詳しく述べられている。
私は、「アンチエイジング」「若さを保つ」「不老長寿」「病と闘う」といった、よく言われる考え方を好まない。引用の冒頭にあるような貝原の考え方の方に馴染みを感じる。
帯津さんは、それを「超えて」壮大かつ勇ましく述べている。現在の私は、それに距離を感じる。それにしても、「死」について自分なりの考えを持つようにしなくてはならないと思う。その際、いたずらに死を敵対視し、恐怖をあおるような発想は避けたい。その点では、帯津さんの考えは参考になる。
写真は本文に関係なく、我が庭の花
「ここで語られている養生とは、身体を労り、病を未然に防いで天寿を全うするという、どちらかと言えば消極的で守りの養生である。
しかしこの考え方は、あくまでも身体を対象とするもので、死を以て終われりとするところが私には物足りない。これからの養生は焦点を身体から生命に移し、生命のエネルギーを日々高めていって、死ぬ日を最高のレベルにもっていき、その勢いて死後の世界へ突入する。それまでには虚空へ還るための準備期間であり、地上エネルギーを充填した我々は、また百五十億年の彼方へと旅立つ。それが「死」なのだと思う。こうした死を前にして、クライマックスともいえる現在の生命の躍動が待っているのだ。こう考えると楽しくなるではないか。」(帯津良一編著「図解雑学 養生訓」ナツメ社2012年P22)
この考え方は、帯津良一「死を思い、よりよく生きる」(廣済堂2007年)に、より詳しく述べられている。
私は、「アンチエイジング」「若さを保つ」「不老長寿」「病と闘う」といった、よく言われる考え方を好まない。引用の冒頭にあるような貝原の考え方の方に馴染みを感じる。
帯津さんは、それを「超えて」壮大かつ勇ましく述べている。現在の私は、それに距離を感じる。それにしても、「死」について自分なりの考えを持つようにしなくてはならないと思う。その際、いたずらに死を敵対視し、恐怖をあおるような発想は避けたい。その点では、帯津さんの考えは参考になる。

Posted by 浅野誠 at 11:56│Comments(0)
│生き方・人生