プロフィール
浅野誠
浅野誠
1972-73年沖縄大学に勤務
1973-90年琉球大学に勤務
1990-2003年中京大学に勤務
2004年より沖縄生活再開
玉城の絶景のなかで田舎暮らし
自然と人々とつながりつつ人生創造
執筆活動、講演・ワークショップを全国にて行う
沖縄県立看護大学・沖縄リハビリテーション福祉学院で非常勤講師
沖縄大学客員教授 南城市・西原町で、多様な審議会等で委員長などを務める

  最近著
  『沖縄おこし・人生おこしの教育』(アクアコーラル企画)
『<生き方>を創る教育』(大月書店)
『ワークショップガイド』(アクアコーラル企画)
『沖縄 田舎暮らし』(アクアコーラル企画)
  『浅野誠ワークショップシリーズ』
    1.ワークショップの作り方進め方
    2.人間関係を育てる
    3.授業づくり(小中高校)
    4.授業づくり(大学)
    5.人生創造
  6.人間関係・人生創造・世界発見・共同活動創造
 
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2013年03月29日

グスク時代の人々 集落とグスク 兵士と農業 子育て教育

 今、當眞嗣一「琉球グスク研究」(琉球書房2012年)を読んでいる。興味深い。かつてグスク論争が盛んだったが、本書を読むと、軍事防御施設としての城(しろ)的性格のものとして、論争に終止符を打つ勢いを感じる。そのあたりについて、また、本書から学んだこと考えたことについては、改めて書きたい。
 今回は、本書から触発されたことを含めて、当時の人々、民衆の暮らしはどうなっていたかについて考えたいことを並べることにする。
 グスク時代、それに先立つ貝塚時代も含めて、さらには「沖縄人はどこから来たか」を含めて、関心が高く、書籍が次から次へと出されている。専門書とならんで、「読み物」風なものも多い。
 それらのなかで、尚巴志など「英雄」的人物に焦点化する本も多い。私の関心は、「英雄」の後ろに在って、英雄に押しつぶされたり、英雄を押し上げたりする人々、庶民がどういう暮らしをしていたか、ということに向けられている。資料とか遺物は、「英雄」を中心に残ったり、解釈されたりしがちだが、人々の営みなしには「英雄」は存在しえない。
 こうした角度から考えたい事知りたい事を並べてみよう。この世界の専門家の方で御存じの方がおられれば、お聞きしたいことでもある。

1)按司がいるようなグスク・グスク周辺には、何人の人々が住んでいたのだろうか。三山とか琉球王国と言われるようになる時期以前には、本島で言うと、100を超す、あるいは200を超す使用中のグスクが並存していたわけであるから、本島人口の総計が、仮に10万として計算すると、一つのグスク当たり500~1000人と言うことになる。グスク相互が提携協同もするが、対抗対立し、時には軍事的衝突があったとすると、各グスクはどのくらいの兵力を保持していたのか。かりに、1000人の住民がいたとすると、その中で兵力になりうるのが成人男子のすべてだとしても、200~300人ほどだ。すると、成人男子のほとんどが、農民かつ兵士となるというイメージが生まれそうだ。いってみれば「屯田兵」のイメージだ。さらに交易交流にかかわる人、鍛冶職人などの多様な生業を兼ねる人もいそうだ。軍人専業者は少ないと思われる。

2)数十人から数百人規模の移住集団が、ある地域に来たとすると、既住者と平和的つながりを作ったのか、既住者を押しのけて居住しはじめたのか。あるいは、既住者を支配してその地域に君臨したのか。その逆もありえよう。そういう際に軍事的衝突が発生しやすいだろう。
 尚巴志親子が佐敷に来た時はどのようだったろうか。

3)住民の住居は、グスクの内部だったのか、グスク隣地だったのか、グスクとは離れた所だったのか。立派なグスクでは、当時としては立派な建物の遺跡が発掘されたりしているが、一般住民の住居跡はどうなっているのか。グスクの隣地にフルジマ、ないしは集落発祥の地があったという伝えをもつところもある。さらに、全住民がグスクに住んでいる可能性も否定できず、グスクが集落跡地であるという説も全く否定はできないだろう。

4)こうした住まいのありよう、集落のありようと、子育て・教育は深く絡む。あるいは文化、文化交流ともからむ。

5)女性の役割として、神に関わることは強調されるが、住民共同生活の中で、日常的にはどのような仕事をしていたのだろうか。農業に従事し、かつ衣食住生活を担っていただろうが、子育て・教育にはどうからんでいたのだろうか。軍事に関与することがあったのかないのか。

 関心事疑問事は広がるばかりだ。
 
写真は、八重瀬グスク近くに沈む夕日を我が家から写したもの。夕日の右下の崖あたりが八重瀬グスク。
グスク時代の人々 集落とグスク 兵士と農業  子育て教育


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