2012年10月23日
沖縄教職員卓球大会 60代個人戦で、2回目の優勝
20日、第82回沖縄県教職員卓球大会が開かれた。1970年ごろスタートし、年2回開催なので、こんな数になる。私は、そのうち、1970年代半ば~1990年と2007年ごろ以降の20数回参加しているだろう。
かつては、二〇〇名近い参加者がいて、大盛況だったが、近年、現職教職員の繁忙さのためか、現職は一〇人に満たず、退職者の多い大会で、全体でも二〇~三〇名と言うことが多い。個人戦等は、七〇代が最激戦で、次いで六〇代であり、五〇代以下は年代合同でやることが多い。
初期の大会以降からずっと参加している方も多く、旧交を温める場でもある。
私は、このところ、琉球大学チームに入って団体戦をし、個人戦は六〇代に参加している。団体戦はどこのチームも選手をそろえることが難しく、いろいろな職場の人、退職者を寄せ集めてのチーム編成だ。過去に何回か優勝している琉球大学チームも同じ有様だ。今回は、若い人二人と私とで組んだが、いつも通り、なかなか勝てない状況だ。
六〇代の個人戦は、四名のリーグ戦。前回優勝者は、五〇代以下に参戦。四名のうち、二名は私が負け続けている人だ。一人とは、フルセットまでもつれたが、ネットイン、エッジが数本続く不運で敗退。もう一人は、最近は勝てないし、今回も団体戦で0-3で敗北したばかりの方。いろいろと異なる作戦も加えて、3-1で勝つ。
結果は、三人が二勝一敗で並び、セット率で私が優勝と言うことになった。昨年の秋の大会もまったく同様に、セット率で、私に優勝が転がり込んだ。
私が優勝するのは、こんな風だ、という「習慣」ができそうだ。それにしても、優勝候補が、別の年齢に出たために転がりこんできた優勝だ。
この大会は、いつも練習している佐敷スポレクセンターの三〇代中心のパワー溢れるスタイルとは異なって、老練さを前面に出す大会だ。最初のうちは戸惑ってしまう。この双方で実力を身につけなくてはならないと思う。
最後に表彰式。優勝者が並んで記念撮影し、試合記録とともに、琉球新報・沖縄タイムスに送付するとのこと。一二月ごろには掲載されるだろう。
団体優勝旗に下げられている毎回の校名とチームメンバーを見たら、私の名前を二つ見つけた。そんなこともあったな、となつかしく思い出す。
総計21セットもして、身体的な疲れ回復に3日かかるだろうが、精神的疲れと比べると、はるかに健康的だ。というか、精神的疲れをスカッとさせてくれるから、ありがたい。
優勝賞状写真
かつては、二〇〇名近い参加者がいて、大盛況だったが、近年、現職教職員の繁忙さのためか、現職は一〇人に満たず、退職者の多い大会で、全体でも二〇~三〇名と言うことが多い。個人戦等は、七〇代が最激戦で、次いで六〇代であり、五〇代以下は年代合同でやることが多い。
初期の大会以降からずっと参加している方も多く、旧交を温める場でもある。
私は、このところ、琉球大学チームに入って団体戦をし、個人戦は六〇代に参加している。団体戦はどこのチームも選手をそろえることが難しく、いろいろな職場の人、退職者を寄せ集めてのチーム編成だ。過去に何回か優勝している琉球大学チームも同じ有様だ。今回は、若い人二人と私とで組んだが、いつも通り、なかなか勝てない状況だ。
六〇代の個人戦は、四名のリーグ戦。前回優勝者は、五〇代以下に参戦。四名のうち、二名は私が負け続けている人だ。一人とは、フルセットまでもつれたが、ネットイン、エッジが数本続く不運で敗退。もう一人は、最近は勝てないし、今回も団体戦で0-3で敗北したばかりの方。いろいろと異なる作戦も加えて、3-1で勝つ。
結果は、三人が二勝一敗で並び、セット率で私が優勝と言うことになった。昨年の秋の大会もまったく同様に、セット率で、私に優勝が転がり込んだ。
私が優勝するのは、こんな風だ、という「習慣」ができそうだ。それにしても、優勝候補が、別の年齢に出たために転がりこんできた優勝だ。
この大会は、いつも練習している佐敷スポレクセンターの三〇代中心のパワー溢れるスタイルとは異なって、老練さを前面に出す大会だ。最初のうちは戸惑ってしまう。この双方で実力を身につけなくてはならないと思う。
最後に表彰式。優勝者が並んで記念撮影し、試合記録とともに、琉球新報・沖縄タイムスに送付するとのこと。一二月ごろには掲載されるだろう。
団体優勝旗に下げられている毎回の校名とチームメンバーを見たら、私の名前を二つ見つけた。そんなこともあったな、となつかしく思い出す。
総計21セットもして、身体的な疲れ回復に3日かかるだろうが、精神的疲れと比べると、はるかに健康的だ。というか、精神的疲れをスカッとさせてくれるから、ありがたい。
優勝賞状写真
Posted by 浅野誠 at 19:11│Comments(0)
│スポーツ・卓球