2013年02月26日
人間関係を育む 多様な文化の協同 シュガーホールと南城おこし3
前回述べた内側のサイクルは、市民間の人間関係を広げ深める機能を果たすことが並行している点に注目しておきたい。
たとえば、先日の「組踊」公演には、字(シマ)の高齢者たちで一緒に来られたグループを見かけた。また、出演者の家族・親戚・知人が多いのは、多くの公演に共通することだ。地元の出演者が多い時には、どんなジャンルであっても、そうしたことが多い。
演目そのものへの関心ではなく、出演者との人つながりで来場されるのは、地域に根差したホールの強みであり、消極的に見る必要はない。来場、鑑賞をきっかけに音楽・文化への関心・取り組みを引き出すきっかけになるととらえたい。こうした公演が、音楽を軸にする文化の裾野・輪を大きく広げるのだ。
また、自分が関心をもつジャンルごとに、文化のすみ分け状態にあることを打ち破って、異文化間に橋をかける役割もあるだろう。また、世代間に橋をかける効果が潜在しているだろう。さらに、これまでの字(シマ)単位を中心にしたつながりが、ここでの出会いをきっかけにして、さらに輪を広げるだろう。
シュガ―ホールで行われている三つの合唱団には、そうした面が多分にあるだろう。また、それらには、練習・公演などを通して、プロとアマの橋をかける役割も果たしているようだ。
シュガ―ホールが多彩に展開しているワークショップ企画など、市民参加型企画は、そうした裾野・輪を意図的に広げる役割を果たしている。
そうしたつながり・人間関係を作るきっかけになるような「カフェ」的な場、あるいは「下駄ばき」(沖縄ではシマゾーリか)感覚の場として、シュガ―ホールを活用してはどうか、という提案も聞こえる。そういう場で、ソロコンサート、さらには詩の朗読、読み聞かせなどをおこなってはどうだろうか。そういう活動は、ホールだけをイメージするのではなく、ロビー、集会室、さらにはつきしろ広場なども活用できよう。そうしたものを各学校への出前コンサートのような感覚で開くのもよいだろう。またつきしろ広場でのエイサーなど、そういう感覚のものがあっていいだろう。さらに最近しばしば開かれる、駐車場でのフリーマーケットに、路上コンサート、大道芸的なものを加えるのもありそうだ。実際、そうしたものを目にしたことがある。
三つ目は、「多様な文化の協同を推進する」サイクルだ。
市民ミュージカル「太陽の門」に代表されるように、シュガ―ホールはこうした分野で、沖縄のみならず日本全体でも先駆的といえる創造活動を展開してきた。
それは、西洋音楽やジャズなど世界の音楽と、民俗的なもの古典的なものを相含めた、地元南城を中心とする沖縄の音楽芸能とを結びつけて展開する、きわめて創造的なものであった。さらにそれらは、地域の歴史と民俗、さらには神々とのかかわりに象徴されるスピリチュアルなものを含んだ、まさに総合的な文化表現である。
特定の音楽ジャンルに限定されない多様な表現の協同が、文化表現として新たな世界を作ってきたのだ。
それは、シュガ―ホールにとどまらない南城の一つの大きな行事として位置するものになりつつある。行事、その一つの集大成である祭りは、多様な生活感覚の文化に大きな橋をかけるものであるし、さらに、それは先祖と神と、現世の人々との間に、さらには未来の世代との間に橋をかける表現ともなっている。そうしたものとして位置づけられるシュガ―ホール企画がいくつもある。
未来の世代との間に橋をかけるということでいうと、マスメディア・学校・おけいごと、遊びなどを通して、音楽のなかに生きている子どもたちを、総合的で創造的なものとしての音楽・文化へと世界を広げていく点で有意義だ。
こうした取り組みは、その先の展望として、南城内外にある豊かな美術工芸文化と音楽芸能との提携協同へと開かれたものである。その一端は、すでに半島芸術祭in南城をシュガ―ホールでも行うなどの形で行われてきた。
子どもたちとのつながりということでいうと、学校での音楽授業・部活での音楽活動だけにとどまらず、保育園・幼稚園・学童保育での音楽・文化活動との連携協同も視野に入ってくるであろう。たとえば、シュガ―ホール敷地に隣接するシュガ―児童館・風の子学童クラブなどとの連携があってもよいだろう。
さらに、近年、高齢者福祉の世界での音楽の活用が話題に頻繁になるが、そうした取り組みも視野に入っていいだろう。
あえて広げていうと、尚巴志マラソンをはじめとするスポーツ行事が、シュガ―ホールでの音楽・文化行事と、どのようにつながっていくのかも興味深い話になることだろう。
こうしたことが、南城市の観光事業とも関わってくるだろうが、それについては、後論しよう。
写真は本文に関係なく、洋蘭博覧会で撮影。
たとえば、先日の「組踊」公演には、字(シマ)の高齢者たちで一緒に来られたグループを見かけた。また、出演者の家族・親戚・知人が多いのは、多くの公演に共通することだ。地元の出演者が多い時には、どんなジャンルであっても、そうしたことが多い。
演目そのものへの関心ではなく、出演者との人つながりで来場されるのは、地域に根差したホールの強みであり、消極的に見る必要はない。来場、鑑賞をきっかけに音楽・文化への関心・取り組みを引き出すきっかけになるととらえたい。こうした公演が、音楽を軸にする文化の裾野・輪を大きく広げるのだ。
また、自分が関心をもつジャンルごとに、文化のすみ分け状態にあることを打ち破って、異文化間に橋をかける役割もあるだろう。また、世代間に橋をかける効果が潜在しているだろう。さらに、これまでの字(シマ)単位を中心にしたつながりが、ここでの出会いをきっかけにして、さらに輪を広げるだろう。
シュガ―ホールで行われている三つの合唱団には、そうした面が多分にあるだろう。また、それらには、練習・公演などを通して、プロとアマの橋をかける役割も果たしているようだ。
シュガ―ホールが多彩に展開しているワークショップ企画など、市民参加型企画は、そうした裾野・輪を意図的に広げる役割を果たしている。
そうしたつながり・人間関係を作るきっかけになるような「カフェ」的な場、あるいは「下駄ばき」(沖縄ではシマゾーリか)感覚の場として、シュガ―ホールを活用してはどうか、という提案も聞こえる。そういう場で、ソロコンサート、さらには詩の朗読、読み聞かせなどをおこなってはどうだろうか。そういう活動は、ホールだけをイメージするのではなく、ロビー、集会室、さらにはつきしろ広場なども活用できよう。そうしたものを各学校への出前コンサートのような感覚で開くのもよいだろう。またつきしろ広場でのエイサーなど、そういう感覚のものがあっていいだろう。さらに最近しばしば開かれる、駐車場でのフリーマーケットに、路上コンサート、大道芸的なものを加えるのもありそうだ。実際、そうしたものを目にしたことがある。
三つ目は、「多様な文化の協同を推進する」サイクルだ。
市民ミュージカル「太陽の門」に代表されるように、シュガ―ホールはこうした分野で、沖縄のみならず日本全体でも先駆的といえる創造活動を展開してきた。
それは、西洋音楽やジャズなど世界の音楽と、民俗的なもの古典的なものを相含めた、地元南城を中心とする沖縄の音楽芸能とを結びつけて展開する、きわめて創造的なものであった。さらにそれらは、地域の歴史と民俗、さらには神々とのかかわりに象徴されるスピリチュアルなものを含んだ、まさに総合的な文化表現である。
特定の音楽ジャンルに限定されない多様な表現の協同が、文化表現として新たな世界を作ってきたのだ。
それは、シュガ―ホールにとどまらない南城の一つの大きな行事として位置するものになりつつある。行事、その一つの集大成である祭りは、多様な生活感覚の文化に大きな橋をかけるものであるし、さらに、それは先祖と神と、現世の人々との間に、さらには未来の世代との間に橋をかける表現ともなっている。そうしたものとして位置づけられるシュガ―ホール企画がいくつもある。
未来の世代との間に橋をかけるということでいうと、マスメディア・学校・おけいごと、遊びなどを通して、音楽のなかに生きている子どもたちを、総合的で創造的なものとしての音楽・文化へと世界を広げていく点で有意義だ。
こうした取り組みは、その先の展望として、南城内外にある豊かな美術工芸文化と音楽芸能との提携協同へと開かれたものである。その一端は、すでに半島芸術祭in南城をシュガ―ホールでも行うなどの形で行われてきた。
子どもたちとのつながりということでいうと、学校での音楽授業・部活での音楽活動だけにとどまらず、保育園・幼稚園・学童保育での音楽・文化活動との連携協同も視野に入ってくるであろう。たとえば、シュガ―ホール敷地に隣接するシュガ―児童館・風の子学童クラブなどとの連携があってもよいだろう。
さらに、近年、高齢者福祉の世界での音楽の活用が話題に頻繁になるが、そうした取り組みも視野に入っていいだろう。
あえて広げていうと、尚巴志マラソンをはじめとするスポーツ行事が、シュガ―ホールでの音楽・文化行事と、どのようにつながっていくのかも興味深い話になることだろう。
こうしたことが、南城市の観光事業とも関わってくるだろうが、それについては、後論しよう。
写真は本文に関係なく、洋蘭博覧会で撮影。